熊本県水俣市でフラットウォーターレーシングカヌーで日本一を目指していた柏木星詩氏は沖縄の大海原でアウトリガーカヌーに魅せられた。国内のレースはほぼ湘南で行なわれることからアウトドアフィットネス株式会社(BEACH葉山)へ入社し、アウトリガーカヌーをはじめスタンドアップパドルボード、カヤック、カヌー、サーフィン、ノルディックウォーキングなど海や山におけるアクティビティーを通じて、「漕ぐことの楽しさと素晴らしさ」を伝えている。国内外のレースにもオーシャンアスリートとしてSUP、アウトリガーカヌー、サーフスキー等々幅広いジャンルに参戦、飽くなき挑戦を続けている。
■ゲスト
オーシャンパドラー・BEACH葉山プログラムマネージャー兼インストラクター 柏木星詩氏
■インタビュアー
旅するライター 山ノ堀正道
高校入学と同時に
カヌーを始める
――星詩さんは「海の男」「海のアスリート」と呼ぶにふさわしいほど夏だと特に陽に灼けて逞しいですね。目の部分が白いのはサングラス装着の影響ですか?
柏木 ええ。スキー灼けみたいですよね。
――最初は山やクライミングだったとか?
柏木 小・中学生の時は父親の影響でロッククライミングを行なっていました。
――お父さんは音楽にも精力的で、とても多趣味な方ですね。
柏木 趣味が生き甲斐で興味が湧いたら何でも手を出すような人間です。音楽も含めて。
――星詩さん自身、音楽は?
柏木 僕も音楽は好きです。ただ、父は作詞・作曲などシンガーソングライターとしてコンサートを行なったりするので本格的です。水俣には水俣病の患者さんもいらっしゃって、その方達が書いた詩に曲をつけて歌うという活動をしていました。
――家族や親戚に水俣病の方はいらっしゃるのですか?
柏木 いないのですが、父が水俣病や胎児性水俣病の患者さんの団体に関わっていました。僕らの世代では少し遠く昔の出来事のような感じもあるのですが、父の影響もあり小さい頃から水俣病のことは身近に感じていました。
――お父さんのお仕事は?
柏木 定年まで森林組合で働き、森へ入り森林の管理や林道の造営を行なっていました。
――高校から始めたフラットウォーターレーシングカヌーとは?
柏木 水泳のレーンを思い浮かべてもらって、それが海や湖の波がないところで行なうレースのカヌー版です。距離は200メートル、500メートル、1,000メートルに分かれています。9レーンある中で誰が一番速く漕ぎ切るかというレースです。レーシングというだけあって、艇は細く、長く片膝をつき漕ぐカナディアン、座って両側を漕ぎ、進めるカヤックと種目が分かれスピードと順位を競います。
――インターハイや国体に出場してどうでしたか?
柏木 僕らが高校3年生の時に熊本国体があって、それに弟の星穂(ほしお)と一緒に出場しました。インターハイは4人乗りが全国6位で、2人乗りが8位でした。国体はジュニアの部の4人乗りで4位でした。
――いずれももう少しでメダルでしたね。
柏木 そうです。メダルまでもう少しでした。
――星穂さんとは瓜二つですね。
柏木 一卵性の双子です。
――幼少の頃から同じことをしてきたのですか?
柏木 大体似たようなことをしています。クライミングに関しては星穂の方が中学生ぐらいまで本気でやっていて、高校になって同じカヌー部に入部し、彼は大学へ進学してカヌーの競技を続けました。私は地元で就職してカヌーを続けました。
アウトリガーカヌー
沖縄でスタート
――地元の企業で働きながら地元レーシングカヌークラブの選手兼コーチを務めた時の思い出は?
柏木 働きながらカヌーをすることが大変でした。競技を求めると仕事も収入も限られてしまうけれど漕ぎ続けたいなという気持ちが強かったのを覚えています。
――カヌーを極めようと思って渡独されました。留学先がハワイやタヒチではなかったのですね。
柏木 当時はまだ海で漕ぐことをやっていませんでした。フラットウォーターレーシングカヌーの日本一になりたいと思って練習していたので、その競技の先進国はヨーロッパ、その中でもドイツがメダリストを多く輩出していたので揉まれたいというか、練習方法やどんなクラブか見てみたいというのがありました。
――ドイツはどうでしたか?
柏木 練習自体は質が高いというのはあるにしても日本で取り組んできたこととそんなに差はありませんでした。その当時の日本は高校や大学を卒業したりすると競技をやめてしまいました。だけどドイツのクラブでは高い意識を持った人がたくさんいて切磋琢磨することができました。生涯スポーツという感じです。
――帰国後は?
柏木 せっかくドイツですごいいいトレーニングをして帰国したのですが、現実問題としてずっと漕ぎながらレースにも出場し続けていたので資金的にきつくなり就職してちゃんと働かなければいけなかったりとか、少し葛藤やジレンマでストレスフルでレースに出た時、アウトリガーカヌーやサーフスキーという海で漕ぐ競技の日本のパイオニアの方と話をして、「レーシングだけが競技ではない。海にはすごい広い世界があるよ」と教えてもらいすごい興味が湧きました。レース修了後すぐに沖縄へ遊びに行って、その人に教えを乞うような形で漕いでみました。その時にレーシングカヌーはレーンが狭いというか、水辺のまっすぐを見ていることが多いものの、海にはすごい広い世界があるし周りの全体を見て進まなければいけないというところがあったり、漕いだ時になんとも言えない視野や世界が広いなというのを漕ぎの中で感じ、2006年~2009年に沖縄でライフガードの活動を始めました。
――沖縄で海でのパドル生活が始まったのですね。
柏木 そこからすぐに沖縄へ移住を決めて水俣を後にしました。沖縄ではライフガードの仕事をしながら、海というものを知りました。ただし、カヌーが漕げたわけではなく、ライフガードの時給も650円とか安くて(笑)。今度は本土のレースに出ることが出来なくなってしまいました。しかし帆掛けサバニやハーリーなど、沖縄でしか出来ない漕ぐ体験は何事にも得難い経験だったと思います。またライフガードの仕事をしながら、海でトレーニングすることがライフワークになっていくのは沖縄で作られていったと思います。
――この時期、2007年黒潮杯 (OC1)12K、2008年kanaka ikaika (OC1)25Kで優勝されましたね。
柏木 その当時はアウトリガーカヌーの選手が少なかったというのもありますし、あとは今までのレーシングでカヌーを漕ぐことの基礎を作っていたことも大きかったと思います。体も短距離から中距離というか、ただ単に早く漕げるだけではなくてある程度持久的な要素も必要としますので、あとはそれをクラフトとフィールドにマッチングしていくだけという作業をして優勝できたのではないかと思っています。
BEACH葉山で
インストラクター
――2009年、沖縄を後にBEACH葉山へ本拠地を移動された理由は?
柏木 アウトリガーカヌーのレースは大体こちらの茅ヶ崎や江ノ島、葉山あたりであるのです。レースに出場するために沖縄からやってきた時、アウトドアフィットネス株式会社(現・津田和司社長)の当時の副社長の永井巧さんと知り合って、「BEACH葉山のオーナーが『今度のレースで勝ったら一人乗りのOC1を買ってあげる』と言っている」と聞いて、そのレースに勝つために助っ人として呼ばれて、「所属していることが選手の条件なのでBEACH葉山でインターンとしてやってくれ」と。2週間くらいインターンとして働いて、すごいいいところだと思って、「もし人手が足りないとか働き口があればぜひ呼んでください」と言っておいたら、次の年に声をかけてくれて働くことになりました。僕がインターンで来た年がBEACH葉山の設立1年目でしたので2年目から勤めています。
――草創期の頃から歴史を知る男ですね。
柏木 はいそうですね。でもスタッフの津田実さんはスタートアップからのスタッフで僕よりも長いです。
――その頃は自由にプログラムを作れた?
柏木 何をやるかのプログラムは枠と内容とメニューがありました、それに従ってインストラクトしていきました。
――BEACH葉山で私はアウトリガーカヌーとSUPを星詩さん、スノーケリングとスキンダイビングを武藤由紀さん、ランニングを金城みどりさん、トレッキングを伊藤裕人さん、ピラティスを堀井祐介さんから指導を受けました。アウトドアとインドアの豊富なスポーツが楽しめていいですね。
柏木 ビーチタウンという会社が発行するアウトドアフィットネスインストラクターという資格を取得して、海だけでなくて山や自然のフィールドを使ってフィットネス、インストラクトするということで、BEACH葉山に携わらせてもらうようになりました。アウトドアフィットネスインストラクターという活動はそこから始まっていると思います。
――その時は会員の数はまだ少なかったのですか?
柏木 その当時から300人くらいで、今とそんなに数は変わらないと思います。人数はその2年目、3年目がピークで、そこからはあまり変わっていないと思います。
――急激に増えたのですね?
柏木 だから多分呼んでもらったのだと思います。
――プログラムマネージャー兼インストラクターとしていつも心懸けていることとは?
柏木 BEACH葉山で心掛けているのは参加者に力まずに取り組んでもらうことです。カヌーとかは、力んでしまうと体が動くことを拒まれてしまうので、リラックスしてもらい、緩めるとか力を抜いてもらうことだったり委ねるとか預けるとかに結構重きを置いています。強張るんではなくて外に向けて開かれるような体の使い方を意識していますかね。
アウトリガーは
先人の叡智
――星詩さんの専門のアウトリガーカヌーの歴史やマナー、魅力、またOC1とV1の表示等について教えてください。
柏木 アウトリガーカヌーはまずアウトリガーという浮力体がついているので、安定感が抜群です。安定感がある中で、体力的なものだったり、身体的なハンデも含めて乗りやすい。海に対してエントリーしやすいものであったと思っています。一人乗りは少し難しいと思うのですが、6人乗りとかになると、泳げない人だったり、体力や年齢に関係なくエントリーしやすい乗り物と思っています。
南太平洋のポリネシアが発祥で生活の道具になっていますし、そこから何百キロ、何千キロを航海したという歴史や文化があり、すごくロマン溢れる乗り物だと思います。現代の航海術のようなGPSとかがない中で、星や季節に吹く風を頼りにして、明確に「あそこに行く」という意志を持ってたどり着いたりすることも出来ていたという叡智というか知識を持っていたポリネシアンたちが使っていたカヌーだということを学んで競技を続けて行く中で知って、カヌーがすごい乗り物で、すごく深いストーリーもあるのだなというように感じました。
――最初は丸木をくり抜いて造ったようですね。
柏木 そうです。日本でも7,500年前の縄文時代の丸木舟が千葉県市川市・雷下遺跡で発見されています。世界中の色々なところで木をくり抜いている丸木舟がありますが、それで海で生活をしていると波でひっくり返ったりするので、船に筏を付けたりしながらアウトリガーに発展していったのではないかと言われています。
――V1とOC1の違いは?
柏木 アウトリガーカヌーの1人乗りはタヒチのポリネシアカヌーがV1、ハワイ式がOC1という言い方です。Vはタヒチなどポリネシアで「va’a(ヴァア)」、ニュージーランドで「vaka(ヴァカ)」と言います。そういうポリネシアンの中でヴァアというVが最初に来るような言葉で、1人乗りがV1、3人乗りがV3、6人乗りがV6といって乗員数を表します。アメリカのハワイ寄りの方のOCはOutrigger Canoeの頭文字を取りOCとなります。両者は形も少し違って、V1はコクピット式となりシーカヤックのように体を船中に入れ込むようなタイプになっていて、OC1は、船内に入らないで上にポンッと乗るシットオンタイプになっているのです。したがって木をくりぬいて中に入っていくコクピット式のV1の方が現代版のポリネシアンカヌーと言えると感じています。
さらにOC1はペダルを右に踏むと右へ、左に踏むと左へみたいに旋回するラダーが後ろについているのでシュッシュッと進み簡単ですが、V1は全部自分のパドルでコントロールしていきます。そうするとV1の方が難しいです。
――どちらがお好きですか?
柏木 私はもう、もちろんV1の方です。カヌーをパドルで、自分の体ひとつで曲げていくからです。
――できるだけ自然の中で自分の力でということですね。
柏木 はい。自分の体の力を合わせて行きたいというのがあります。
――個人競技ではなくて、複数の場合は大体何人乗りですか?
柏木 アウトリガーカヌーの国内のレースやクラブの練習はOC6、6人乗りが基本になります。山ノ堀さんが乗ったことがあるのは木をくり抜いたような形状の12mの長いカヌーにシートが付いているOC6になります。
――6人乗りだと一番先頭に立つ人がうまい人なのですか?
柏木 いえ、それぞれに役割があって、先頭から1番2番はストローカーと言ってカヌーのリズムを刻む人達。3番4番5番はカヌーのエンジンシートでカヌーの推進力を一番生み出す人達。リズムにエンジンが噛み合ってパワー、推進力を出していく。で、6番シートが舵取りの役割をしていきます。要は後ろで曲げたりとかコントロールしています。
―――ということは艇長が6番目ということですか?
柏木 基本的にはそうです。チームによっては掛け声で全体をコントロールする人であったりしますが、基本的には舵を取るのがリーダーやキャプテンの役割を担うことが多いです。
――どれが難しいというのは個々によって違う?
柏木 そうですね、どれが難しいというかそれぞれの役割をみんなで一つにして進ませていく。こなして、カヌーを一つになって進ませていくというのがあります。
――私が乗せていただいた時は6番が星詩さんで1番シートが生徒の中では一番の経験者だったと思います。
柏木 1番2番のリズムに3、4、5番が合わせないと推進力が出ないので、声を掛けて呼吸を1つにして漕ぐわけです。したがって講習では1番から順に経験者を配置することになると思います。
――個人のOC1・V1と違って、団体のOC6・V6では難しさや楽しさがありますね。
柏木 チームスポーツなりの難しさがあると思います。やはりぶっつけ本番だけ合わせても中々勝てなかったりします。あとは海もずっと静水というわけではなくて色々なコンディションがあります。荒れてる日もあれば、フラットの日もあるし、潮が速い日もあるし、横から波が来る時もあります。そういう色々なコンディションをチームで経験していくと、ただ静水だけで速いというチームが勝つことにならない。波が荒れてくると、その強い波をちゃんとみんなで経験を共有して前に進めるチームの方が速くなる。だから体力がある人が乗るだけではダメなのです。
ビーチボーイズ葉山が
湘南パドリングで優勝
――サーフィンの場合は海が高いほどいいですが、SUPなんかはない方がいい。種目によって安全とかに違いがあるのですか?
柏木 コンディションというのは結構面白いのですが、海が荒れていた方が楽しいと言う人もいるし、逆に静水がいいと言う時もあるので、コンディションを選ばずに楽しめるように意識しています。その中に安全管理ももちろん入ってきます。基本的には何かあったら私がサポートしながら安全に移送したりするのですが、セルフレスキューと言って、皆さんが自分自身で判断して自分自身が危険に対してコントロールしていかなければいけないということを伝えていく必要があります。その中で、ある人にとってはそのコンディションは怖いものかもしれないけど、一歩ずつ成長というか、上達していくことによって荒れたコンディションが逆に楽しめるというところには、少し目標を持ってもらうとか。色々なコンディションも安全管理というところもあるし、危険のない範囲内ではあるけれどもいろんなコンディションも経験してもらいたいと思っています。
――星詩さんはパドルを漕ぐのを「波を感じて漕ぐ」とか名言を発しています。それと単に漕げばいいというものではなく「波と一体化する」とも述べています。「波」と「漕ぐ」ということについて話していただけませんか?
柏木 基本的に波の日は楽しいです。自然の中で活動すると自分以外で動いているもの、目の前の波だったり沖から来る波とかも風もそうです。そういったものを拒むのではなくて、うまくそこに動かされるような、自分から動くんのではなくて自然の条件をうまく感じながら「動くよりも動かされる」「逆らわずに動かされる」というのをパドリングだったりとか自然の中で動くときに感じてもらいたいし、そうすることでその不思議が面白かったりすると思っています。
――波に驚きというか教わったことはありますか?
柏木 波に巻かれた時は冷静にならなければいけないし、パニックをコントロールしなければいけません。波に乗るためには、目の前の波ではなくて次の波を読むことが大事になってくるので、先のことを感じていかなければいけないし、実際に波に乗った時にはその波に「今」をしっかり感じながら自分の動きをうまくコントロールしていかなければなりません。波や自然から教えてもらうものは、今の自分の人生の喜びや幸せに繋がっているなという確信があります。
――アウトリガー付きでも転覆するのは稚拙だからですか?
柏木 基本的にひっくり返るというのは、遊びすぎているからです。カヌーの6人乗りでも波乗りしますが、その波が大きすぎてしまったり、左側の岩にスピードを付けながら乗り上げたり、ものすごい圧力を受けたりする場合です。安全管理上は入門の際、「ひっくり返ることもあります。ひっくり返ったらこうしてください」というイメージをして乗るようにしてもらっています。あとはBEACH葉山の中にビーチボーイズ葉山というサークルでは、ひっくり返った後の練習を年に2、3回必ず行なっています。
――ビーチボーイズ葉山はどういうサークルですか?
柏木 「アウトリガーカヌーを使って楽しもう」がテーマの一つにあります。今はBEACH葉山のイベントとして行なっていますが、カヌー本来の使われ方、楽しみ方を味わう伊豆大島の島渡りからスタートして、あとはレースを楽しんだり、釣りを行なったりしているサークルです。
――メンバーは何人ぐらいですか?
柏木 今40人くらいです。
――ボーイズなので男性ばかりですか?
柏木 ハワイにビーチボーイズというクラブがあります。それを文字ってビーチボーイズ葉山といった感じでネーミングしました。女性もいます。女性の方が多いぐらいです。
――大会に出て優勝したとか?
柏木 7年前の2012年6月に江ノ島で行なわれる湘南パドリングチャレンジ、OC6で優勝しました。国内のクラブが一堂に会して行なわれるレースです。
――優勝をみんな喜んだでしょう?
柏木 それは嬉しいものです。アウトリガーカヌーはそんなにクラブも多くないですが、その中で日本一というふうに言えましたから。
――次の年は?
柏木 2番か3番ぐらいでしたが、そこから少しずつ順位を落としています。その当時が一番速かったです。
――なぜその時は強かったのですか?
柏木 やはり優勝という目標に向かってメンバー一丸となって毎週練習したからです。その当時一緒に漕いでいた人たちはお子さんできたり、転勤して遠いところへ行っちゃったりという事情もあって、最近はメンバーを固定して練習することがなかなか難しくなっているのです。
――目標を達成した後の小休止の時期ですね。固定した6人というのもなかなか大変ということですか?
柏木 そうですね。もちろん当時の人達が速いだけではなくて、一緒に練習する時間を確保するということも大事なポイントです。
――再び盛り上がってV2することを期待しています。
柏木 頑張ります。
――地元・水俣で「カヌー王国水俣で遊び尽くしツアー」を企画し、V3レース「ワダツミ杯」に参戦して優勝したとか?
柏木 優勝することができました。
タヒチの世界選手権で
日本代表監督兼選手
――ハワイ島カイルコナのアイアンマン世界選手権にも参戦したとか?
柏木 毎年BEACH葉山で有志を募り『Queen Liliuokalani Long Distance Outrigger Canoe Races』にチャレンジし過去に3回参戦しています。ハワイのロングディスタンスながら結構フラットで、参加しやすいレースです。あと、すごく雰囲気がいい。中には競う人達ももちろんいますが、それよりも少しファンな気持ちで参加できるすごく雰囲気がいい大会です。また本場ハワイということもあって、みなさん目標にする大会です。
――ここに艇は送るのですか?
柏木 送りません。向こうで借ります。向こうはいっぱいカヌーがありますから。
――タヒチで開催されたアウトリガーカヌー世界選手権「Ivf VA’A World Longdistance Championship」は初となる長距離での国別対抗戦(世界選手権)となり、日本代表監督兼選手として選手団23名と共に戦ったとか?
柏木 2年半前になります。そもそもタヒチのアウトリガーカヌーのV1レースに出場していたので、その縁もあって僕の方へ最初に話が来たので、話を進めていく中で、監督としてやれみたいな感じになりました。僕ももちろん選手としても出場したかったので、選手兼ヘッドコーチで役不足ながら参加させてもらいました。
――結果は?
柏木 V1もV6も9位でした。ベスト10に入るという目標をみんなで掲げていて、しっかり達成できたので良かったです。
――世界各国のトップパドラーが集まるアウトリガーカヌー世界大会「Kaiwi World Championships」で日本人が入賞するためには何が必要ですか?
柏木 若いうちから漕ぎ続けることですね。アウトリガーカヌーはお金を持っていたりある程度働いた人達がクラフトを買えて漕いでいるような傾向があって、全体で見ると30代、40代が多いのです。その中で10代とか若い世代をいかに取り入れるかです。そこがないと次がありません。我々もどんどん年齢が上がっていって最終的にはマスターズのようになっていくので、課題としては若い選手達がいかにそういったところに世界という舞台に立てるか、立つことをサポートできるかといったのは鍵になってくるのではないかと思っています。アウトリガーカヌーで世界に出るということが魅力になってくれなければいけないので。でもそれはまだ魅力としてはなかなか伝わらないのかなって。それはまだアウトリガーカヌーはまだ中々盛り上がっているわけではないんですよね。クラブは増えて行ったりはしていますけれど、全体的な競技の人口を見ると1000人もいないし、5、600人だと思うのですが、それくらいのところでしかないので。
――アウトリガーカヌーV1用のパドル「柏木星詩モデル」が完成しましたね。
柏木 全てハンドメイドでパドルを製作するパドルファクトリーが僕のシャフトベントの角度やブレード角度など細かい要望を容れてくれました。薄くて軽いので入水でスパッと入ります。
狭いレーンから
広い世界を知る
――健康面はどうですか?
柏木 毎日海に最低でも5、6時間入りますし、週末になるともっと増えてきますから冷えがかなり苦手になりました。昔は海へずーっと入っていても平気でしたが、最近はぎっくり腰になったり背骨が歪んできたり怪我が多くなってきました。
――怪我や病気になってもなかなか補充が利きませんからね。
柏木 そうですね。1回怪我をするとすごい後を引いてしまい、競技の練習もできなくなります。そうは言いながらも海で仕事をしなければいけないし、怪我することのリスクがすごい重くなってきています。先週、全日本選手権が終わって競技をひと段落できたので1カ月近く休んで、12月後半からトレーニングを再開していくつもりです。
――日頃から筋肉をつけたりインナーマッスルを鍛えたりは?
柏木 基本的には漕ぐだけです。漕ぐ中で強度の変化をつけています。練習は基本的に30分から1時間以内に抑えています。それ以上漕ぐとオーバーワークになってしまいます。
――星詩さんはBEACH葉山でカリスマですが、いろいろなお客さんに嫌われないで好かれる秘訣や心がけていることは?
柏木 あまり嫌われないようにといったお付き合いはしないで自然にしています。その人がストレスに思っているようなことも見方や方法を変えたり自分が成長することで楽しみに変わります。そういうところを伝えてもいきたい。もちろん人間関係なので苦手な人とか伝えづらいところもちろんありますが、自分が一番自然体でいられるように会員さんともふざけたり、お友達感覚でいることもあります。
――星詩さんは人によって個別の対応、それとも一律ですか?
柏木 環境が違えば自分がどう動くかも変わってきます。グループの3、4人の中でニュートラルな位置をうまく自分が作れるようにして、人と人を繋げる役割をするかもしれないし、自分と周りの雰囲気を見ながら自分が一番居心地のいいポジションというか、柔らかく自然体でいられるポジションを見つけていくことが良いのかなと思います。それがとんがっていても丸くなっていても良い。でもちゃんと繋がっていればいいのかなと思います。ちょっとなんかイメージの世界になってしまいましたが。
――スタッフに新人が入って来た時に教えていることはありますか?
柏木 そうですね。自分もそうですが生き方に沿ってというか、自分が幸せでなければ持っているスキルや良さが伝わりません。このBEACH葉山へ新しく入って来るスタッフが働く中で、いかに自分が幸せでいられるかで仕事の成否が決まるというのを伝えたいです。仕事をしてれば必ずストレスがありますが、それが自分を成長させたりもします。若いとそのストレスに立ち向かう前に、今だと選択肢がいっぱいあるので辞めたりしますが、せっかく一緒に関わってくれたのだったら、自分がやりたいことをやっていて幸せで仕事もその道にあってそのことが幸せなことなのだよというのは伝えたいですね。
――後輩の伊藤くんも人気ですね。
柏木 伊藤くんは素晴らしいと思います。あの(若い)年齢であの柔らかさや気遣いとか素晴らしい出来すぎた後輩だと思います。石原軍団にいそうな甘いマスクでナイスガイです。
――私は7年前、50代でたまたまBEACH葉山に入会し、海のスポーツを始めたら虜になって年に2回ほど沖縄とかの海へ行くようになりました。昔の私のような食わず嫌いの人に海は楽しいとか、アウトリガーカヌーはいいよとかのメッセージを送っていただけませんか?
柏木 いろいろ知らないで終わってしまうことも多いです。でも知って広がっていく世界とか、気づいて自分の新しい可能性とかはいっぱいあると思うのです。僕が狭いレーンから海に出た時に広い世界を知ったように、もちろん山もそうですが、自然というフィールドを楽しめるようになると世界が広がって行って、その中で楽しみ方を深めていく。人生もさらに幸せがいっぱい待っているのではないでしょうか? ぜひチャレンジしていただければと思います。
全日本で3位以内
海外で入賞を目指す
――星詩さんと星穂さんは一卵性で顔も容姿もそっくりですね。これまで兄弟でずっと同じ道を歩んできたのですか?
柏木 同じ競技をして、離れて、また葉山でまた同じところに住んで、同じチームに所属してというのは双子でもなかなかないのではないかと思います。近すぎて嫌な時もありますが、今はやはり同じ競技やスポーツをして、同じ環境にいるのはすごく心強いし、何かあったら頼れるし、逆に彼が何か困ったことがあれば僕も手伝えるし支え合って競技を続けていこうと心強く思っています。
――全てを知る2人という感じですね。
柏木 結構そういうのはあるかもしれません。
――ここにはどちらが先ですか?
柏木 海は僕の方が全然先です。星穂は競技ラフティングのプロとして2回世界チャンピョンになって。それを引退して、そこからカヌーを始めました。
――星詩さんが声をかけられた?
柏木 声はかけていません。勝手に来ただけです(笑)。海は好きだったのです元々。星穂の方は水俣にいる頃からサーフィンや海のボード遊びに行っていました。
――魚釣りが趣味でスズキを追いかけたりとか?
柏木 スズキにこだわらず釣りは好きです。たまにプログラム中にも行ないます。食べるためもありますが、魚との駆け引きや釣れるドキドキ感も好きです。最近は長者ヶ崎と尾が島の間あたりが結構釣れますね。
――ご夫人は女優の大河内奈々子さんと聞きました。
柏木 ご縁をあって素敵な人に巡り会えたなと感じています。女優ということはあまり最初よくわかりませんでしたが、雑誌やテレビに出演する彼女をみて不思議な気持ちになることはあります。もちろん家族としてフランクに、普通に喧嘩もしますし、ふざけたりもします。人としても素晴らしい人が自分の奥さんになってくれ、すごく幸せだと思います。
――奥さんは星詩さんと一緒に海に入るのですか?
柏木 妻は「サーフィンが楽しい」と言うので夏に何回か海へ行った程度です。子供(継子)とは一緒によく海で遊びます。
――奥さんは女優兼フラワースタイリストだとか?
柏木 妻が夢だったフラワーアーティストの修行を経て、オンラインフラワーストア「blooom(ブルーム)」をオープンしました。ブーケ、アレンジメント、スワッグ、祝花、リース、お花のワークショップなどを取り扱っていて、日本全国にお届けいたします。
――今後の夢・ビジョンをお願いします。
柏木 競技者としては38歳になりましたので、そろそろ難しくなってくる年齢ですが、漕ぎ続けて来た経験を糧にしながら、もう一つ上で戦いたいと。それは全日本で表彰台3位以内に入ることだったり、海外のレースでしっかり入賞する、もう一回競技者としてしっかりと自分を見つめて、高めていきたいです。あとは、仕事でも日々の生活の中でも自然体で周りと調和して機能するということだなという風に思います。それが自分にとって幸せなことだろうというふうに思っています。
プロフィール
柏木星詩(かしわぎ・せいじ)氏
1981年11月29日、熊本県水俣市生まれ。小・中学校時代からロッククライミングを始める。高校からフラットウォーターレーシングカヌーに取り組み、インターハイや国体に出場。2000年、高校卒業後は地元企業に就職し、選手兼コーチとして地元レーシングカヌークラブの発展に貢献。2003年、カヌー先進国ドイツへカヌー留学。帰国後は地元カヌークラブのコーチ兼選手として活躍。2006年~2009年、沖縄でライフガード活動に従事。その傍らで沖縄伝統舟「サバニ」やサバニのレース「ハーリー」、そして「アウトリガーカヌー」など海に魅せられる。2009年~現在、アウトドアフィットネス株式会社、BEACH葉山でプログラムマネージャー兼インストラクターとして活動。国内外のSUP、アウトリガーカヌー、サーフスキー等々のレースに参戦。BEACH葉山クラブ内にビーチボーイズ葉山を結成している。