松岡修造氏に「負けた!」と言わせた
「人と木を育てる」女将人生

  1. 鄙のまれびとQ&A

 長崎県壱岐島は南北17キロ、東西14キロで、九州と対馬の中間に位置する。神社密度日本一を誇り、麦焼酎発祥の地だ。島北部の奥壱岐には神功皇后が我が子の応神天皇に産湯を使わせたと言われる湯本温泉の旧湯に位置するのが平山旅館だ。名物女将の平山宏美さんはスポーツキャスターの松岡修造氏に「女将の熱血さに負けた」「平山女将は壱岐のパワースポットだ」と言わしめた。平山女将に壱岐の魅力、旅館の女将としてのユニークな生き方等を聞いた。

■ゲスト 
 奥壱岐温泉 平山旅館女将 平山宏美さん

■インタビュアー 
 旅するライター 山ノ堀正道

JAL機内食に
3年連続選ばれる

 ――今朝、雲仙温泉を発って豊臣秀吉が築城した名護屋城址に立ち、唐津東港から秀吉の朝鮮出兵ルートにて印通寺港で下船し、壱岐の平山旅館へやってきました。2日連続で長崎県を代表する温泉に入浴できてすごく幸せです。

 平山 博多港から海路、や長崎空港から空路で見える方が多いけど唐津東から乗ったのね。雲仙の温泉はどうでしたか?

 ――雲仙地獄からそのまま引いた源泉掛け流しの乳白色の酸性硫化水素泉で泉温は44度でした。こちらの奥壱岐温泉は1,500年の歴史を持つ100%源泉掛け流し、鉄分を含んだ赤いナトリウム塩化物泉で、さらっとした肌ざわりの美肌温泉だと。料理は壱岐牛や壱岐の新鮮な魚介や地鶏、有機無農薬栽培の野菜類など最高の素材を使っていて感動しました。

 平山 有り難うございます。あれで一番軽めのコースです。

 ――あれで?! 満腹になりました。全て美味しかったのですが、特に刺身とごぼうスープの組み合わせが絶妙でした。

 平山 シーズンによって、ごぼうであったり紫芋、アスパラ、カボチャと具材をいろいろ変えています。ほぼ日本食の中、ごぼうスープはフランス料理風です。私がフランス料理のコースが好きで、「女性は手が掛かる裏蒸しスープをひとつ出して召し上がっていただいたらいいのでは?」と提案しました。心がこもっている感じがするでしょ?

 ――ええ本当に。堪能しました。「玄界灘の天然真鯛の茶漬け」もJALの国際線のファーストクラスとビジネスクラスの機内食に異例の3年連続で採用になったとか?

 平山 おかげさまで。10年近く前にある日突然、注文が来て商品をお送りしました。その後、メールで「お宅の『鯛茶漬け』を採択します。1,500食を送れますか?」と言ってきたの。嫁の若女将から「女将、ネットでの大量の注文には気をつけてください」と言われていたので、「JALほどの大きい会社がここにおいでにならないで、私に会わないで採択しないはず。しかもファーストクラスとビジネスクラスなんておかしいのでは?」と勝手に思ってしまいました。その頃、東京で平山旅館女将のお惣菜を3カ月ごとにオーダーしてくださる会社があって、その社長さんのところへ打ち合わせに行くついでに伺ったの。そしたらJALグループのジャルロイヤルケータリングという会社だったの。私は「5、6、7月は鯛が産卵期を終えて痩せていて、美味しくないです。その時期を避けて、2、3、4月のお腹に脂が乗った春の桜鯛がいいです」と。コツコツコツコツ積み上げてきた評判を落としたくなかったのでお願いしたら「いいですよ」と言われたの。私も会社を実際に確認することができてよかったなと思いました。

 ――JALは平山旅館のことをどのようにして知ったのですか?

 平山 朝日放送の「朝だ!生です旅サラダ」という神田正輝さんが司会の毎週土曜日午前中の旅番組にがありますよね。その人気お取り寄せコーナーに1回出してもらったの。それをご覧になったのだと思います。

 ――注文して味を確めて。お互い良縁だったのですね。

 平山 そうそうそうそう。本当にありがたいことです。1年目約14,500食、2年目約18,000食、3年目約15,000食出ました。普通連続は有り得ないらしいけど人気だから3年目まで延長してくれ本当にラッキーでした。

 ――イカは姿盛りの後に天麩羅、鯛は刺身と鍋、余すところがないですね。

 平山 そうです。うちはもうお魚もそうですし食材もそうですけれども、サステナブルな巡回型社会を目指しています。

東京で邂逅
福岡で結婚

 ――女将はどのような経緯で壱岐に嫁ぐことになったのですか?

 平山 私は実家が美容院です。私自身、北九州美容専門学院を卒業しました。テレビによく出演しているIKKOさんの先輩です。だから料理も農業も関係ない状況で、母と姉がいたので私は掃除、炊事、洗濯全くダメみたいなお嬢様で育って、ケーキやお菓子作りしかやっていませんでした。お金持ちとかではなくて、何もしなくていい環境だったのです。そしたら主人と一緒になって、この旅館に嫁いできたから本当にびっくりしたの。

 ――お二人の馴れ初めは?

 平山 私は美容師たけど若かりし頃、今から50数年前にオフィスレディー(OL)に憧れて東京に行こうと思ったら、父に「女の子が一人で東京へ行っちゃいかん」と言われて、兄が東京の大学へ通っていたので、「お兄ちゃんのアパートの隣の部屋を借りるから」ということで許してもらった。新聞広告を見て勤めた会社で主人との出会いがありました。

 ――小泉純一郎元総理似のダンディーな敏一郎会長はずっと板場かと思いました。

 平山 その当時、壱岐は観光客が少なくて、ここもこじんまりと温泉旅館、湯治場をやっていたから跡継ぎも考えていなかったわけ。しかも医師の長兄、獣医師の次兄がいて、三男坊の主人は家を継がなくてもいいと普通思うでしょう? 主人も親が旅館業だなんて言わないし、東京へ出てきてサラリーマンをやっているぐらいだからさ。そして私の父が「(2歳上の)姉は優しい子だからどこへ行っても通用する。宏美は我が儘で意地悪だから、長男や跡継ぎとは絶対に結婚してはいけない」と強く言われていたの。自分でも我が儘で、意地悪だとわかっているので御姑さんと絶対にうまくいかんことは目に見えている。だから主人が三男坊って言った時、ピピッときたわけ。

 ――会長の方からラブラブコールがあったのですよね?

 平山 そう。あっちからラブラブコールがありました。主人とは縁があったのでしょう。東京で知り合って強烈にアタックしてきて、その時はもう頭がいかれていたのだって!

 ――その後の結婚とかは?

 平山 主人が「跡継ぎをしようと思うから調理学校に行く」と言い出して福岡調理師専門学校へ通いました。それで主人が壱岐、私が田川だから中間の福岡で結婚式を挙げ、久留米で一緒に暮らし始めたら、子供ができました。

 ――今千葉にいる元衆院議員のご長男・泰朗さん(おひさま総合研究所代表)ですね。

 平山 そうそう。長男ができて私一人で面倒を見ていたのだけど、育児が初めてで、しかも何にもできないママだから、子供が咳をしたり鼻が詰まったりしただけで、もう不安で不安で堪らんかってオロオロ。義母・泰が「初孫だから帰って来て」と言ってくれたので「私行きます!」と言って、長男が9月24日に産まれて11月3日には二人でここへ来たの。

 ――会長が調理師学校へ通っている間に。

 平山 はい。こっちは義母がいるから安心だし、温泉はあるし、料理は美味しい、みんな親切だし。そんな感じ。はははは。

 ――女将さんは初めてのところも苦にならないのですね。

 平山 私は順応性があるからどこっちゃなんともないのですよ。東京でもなんっともなかった。未開発地域で不潔なところは嫌だけれど、それ以外はどこでも。

 ――嫁と姑の確執とかは?

 平山 天下一の優しいお義母さんは他にいない。もう本当すごい。私に一言も文句を言ったことがない。私なんかが「もうお義母さん、そんなんしたらダメでしょう! 何回言ったらわかるの?」とか言って怒るでしょう。そしたら「宏美さん、私はそげんこと言われたら悲しかばな」と言うのよ!

 ――それにしても可愛いお義母さん!

 平山 もう本当、可愛い。背も小柄でね。94歳で亡くなったのだけれど、87、8歳まで毎年『イミダス』(集英社)を買って持ち歩いて新語や旅行語を徹底的に調べるぐらい研究熱心でした。義母の従弟の白石一郎さんは『海浪伝』、長男の一文さんは『ほかならぬ人へ』で、親子で直木賞を受賞しています。義母も同じ血が流れているのですっごい文学的才能がありました。うちの4人の息子とはしょっちゅう言い合いをしていましたが、私とは喧嘩をしたことありません。実に穏やかで優しい人で、「生長の家」を信仰していました。

 ――その温厚な先代の女将からはどんな薫陶を受ましたか?

 平山 もうなんもなんも! それこそ見て学ぶ。義母は「借金取りであろうが予約の申し込みであろうが、どんな人が訪ねて来ても、ここまで来る道中が暑かったり寒かったりしただろうから、まずおいでたら『お茶をどうぞ』と言って出すのが一番よ。それも美味しい心を込めたお茶を出さないかんよ」と言っていました。後は「人の話をよく聞いたり、面倒を見てあげなさい」というぐらいかな。

神社密度日本一
麦焼酎発祥の地

 ――神話の世界ながら当湯は約1,800年前に三韓征伐をした神功皇后と縁があるとか?

 平山 そうそう。神功皇后が応神天皇の産み月に入って、腹帯に月延石を入れて出産を延ばしたと言われています。史料によれば新羅・百済・高句麗の「三韓」でなく「新羅」一国だったのではないかということです。とにかく現在の朝鮮半島へ渡り、無事に戦勝し帰ってきて、壱岐湯本(ゆのもと)温泉で応神天皇を出産したと言われています。その浸かった産湯が、うちの旧湯(ふるゆ)です。

 ――ここが湯本ということですか?

 平山 湯本というのはお湯の元から他に配送しているような感じ。そうじゃない。この辺は1カ所ずつ泉源を持っている。一番最初にここが発見されたので旧湯です。それでうちは7.8平方メートルしか持っていないのです。

 ――それで出てくる?

 平山 渾々と出てくる。で、そこの泉源が出なくなったら温泉業者の皆さんの同意の署名・捺印をもらって、その敷地内に一箇所だけ泉源を持っていい。だから、この辺の泉源を勝手に採掘してはいけないような決まりがあるのです。ただ、3km以上離して掘ろうとしても出ない。今、泉源は12箇所あります。

 ――温泉旅館を始められた経緯は?

 平山 元々、平山本家は田畑と山林をたくさん持っていましたが、義祖父・末継が医師、その長男も医師、次男も歯科医師で農業ができないというので、「もうお前がやらなきゃしょうがない」みたいな感じで三男の義父が後継者になりました。義父は義祖父から「田畑を見るために自分の人生を犠牲にしてよく後を継いでくれた。売りに出ている泉源の権利を買ってやるから温泉旅館でも開いたらいい」と昭和10年代に言われたようです。ただ、義父は田畑と山林を見なければいけんから原の辻遺跡を登ったところへずっと一人で住んでいました。義父の長兄は、平山医院を娘婿に譲って対馬の僻地診療医になって病気で亡くなりました。それで義祖母も対馬から帰ってきたので義父が義母と一緒に旅館を営むようになりました。旅館落成式と平山旅館の法人化は昭和36年11月1日で創業60年近くになります。私は昭和46年にここに来てからずっと一緒に取り組んでいます。リニューアルオープンは「湯布院 玉の湯」を手がけた建築家の鮎川透さん(環・設計工房会長)に設計をお願いし平成14年でした。

 ――医者家系なのですね。

 平山 義祖母の母方の家が平戸藩の御典医で、壱岐へ来て医術を教えたらしいです。

 ――神功皇后の神話と関係があるのかどうか、壱岐には神社がものすごく多いですね。

 平山 壱岐ではかつて平戸藩の藩主が特別に崇拝した七つの神社、住吉神社、本宮八幡神社、聖母宮、箱崎八幡神社、國片主神社、興神社、白沙八幡神社をお正月に参る「七社巡り」の風習があります。最近、特に脚光を浴びているのが男嶽神社、女嶽神社、月讀神社、爾自神社、小島神社、塞神社のパワースポット巡りです。このなかでも「壱岐のモン・サン・ミシェル」と言われる小島神社は干潮時のみ参道が現れ徒歩で行けますが、満潮時だと伝馬船で参拝となることから若い女性やカップルに大人気です。

 ――小島神社には夕方の干潮時に行きました。私はスピリチュアルに疎い人間ですが、女嶽神社のご神体、巣食石の前で方位磁石を置いたらクルクル回り出したので驚きました。

 平山 男嶽神社と対をなすのが女嶽神社です。二社をセットで参拝すると良縁に恵まれると言われています。爾自神社の東風(こち)石も磁石が回ります。この石は神功皇后が三韓出兵で出港の安全を祈願した時、真っ二つに割れ、そこから東風が吹き出したという故事があります。とにかく壱岐には神社庁に登録されている神社だけでも150社、その他の神社、祠(ほこら)を含めると約千社にもなり、神社密度日本一です。

 ――壱岐は麦焼酎の発祥の地でもありますね。

 平山 古くは『魏志倭人伝』に一支(いき)国として登場するほど大陸との交易に重要な役割を果たしてきて、中国から伝来した蒸留方法で麦を使った独特の焼酎が誕生しました。壱岐焼酎は平成7年に熊本の球磨焼酎、沖縄の琉球泡盛とともに世界貿易機関(WTO)の地理的表示の指定を受けました。

「食いしん坊バンザイ」
松岡修造氏が再訪

 ――女将さんの特技は「会った瞬間から、その方と仲良くなれること」とのことですが。

 平山 まず会った人の姿やしゃべり方を観察すれば、この人の職業は何か、どんな人間かということが大体わかるので、それに関連した話をします。それから今はあまり取っていませんが、電話予約がすごい大事です。「なんのご用でおいでますか? 目的は?」と、ある程度聞く。そうすると例えば「誰々の墓参りです」とか、「神社巡りです」とか、ある程度の情報は全部メモしておく。そしたら例えば、学校の先生やお医者さんだったらこういう話をした方がいいかなとか、気を回すことで機転が利くのです。いっぱい引き出しを持ってるから「この人はこの話した方がいいな」とか、年配の唄のお師匠さんには「私も三味線もお琴もやっていました。口三味線もやるんですよ~」と言いました。
 クレームで一番面白いのが、例えばビールです。仲居から「エビスを頼んだのにキリンやアサヒを持って行ったのでお客さんが怒っています」と言われ「そりゃあ、あなた当たり前でしょう」という話だけど「隣のお客さんと間違えました」とか言い訳したらお客さんも余計怒るので、「すみませーーんっ」「ごめんなさ~~~い」と慌てて、「私、平謝りがうまいから平山って言うのです」と言う。深刻な顔でなく朗らかに。お客さん、よほどじゃない限り笑いますよ。「もうごめんなさいね。すぐ取り替えますから~」と言ったらすぐ済みます。「キリン? アサヒ? 何でしたっけ?」とか聞いて笑いになったりです。
 お客様が旅においでているということは、普通だったらせかせかせかせか朝から晩まで働いていて、非日常的を体験したいというので高いお金を出して時間を作っておられるわけです。それなのに私がダラーっとしたり、ヨレヨレしたり、化粧もしないで、髪ボサボサで出てきたら嫌でしょう。だけんね~、「女将さんいつも綺麗~」「当たり前よ。マナーでしょ」と。仲居にも「食事が終わって口紅が剥げかかった格好で表に出ないでね。お客さんはある程度期待感を持って来てくれているのだからね。笑顔で『いらっしゃいませ~』とちゃんといい笑顔でね」と言っています。

 ――松岡修造さんに「平山女将は壱岐のパワースポットだ。女将には負けた」と言わしめたそうですが。

 平山 あはは! 平成20年の放送のフジテレビ「松岡修造の食いしん坊!万才」の取材で松岡さんが色紙に「女将の熱血さに負けた」と書いてくださったのだけど何の熱血だろうかと思いながら、いちいち電話で確認するようなことでもないので黙っていました。そうしたら3年後の平成23年1月2日放送の「松岡修造の食いしん坊!万才~スペシャル2011 松岡修造の全力恩返し『ありがとう』の旅~」においでたの。修造さんが「食いしん坊として12年目を迎え、それまでに旅した全国各地の取材先の中から、もう一度会いたい人、思い出の味を訪ねて恩返しするコンセプトです」と言って3件のうちの1件に入れてくれたの。到着次第、「次に新潟へ行かないといけないし年末だから滞在が5時間しかありません」「わかりました」と言って、さらに広間で大きな紙を広げて「女将ここに座っといて。テレビに映すのだから!」「修造さん、なんて書くの?」「内緒」という会話をして、あれを大書してくださったのです。
 その前に「なんで『熱血さに負けた』のか、私は知りたいから教えてください」と尋ねたら「あの時、女将さんは『壱岐はすごいのですよ。歴史も文化もあって。食事は美味しい。食材も豊富。良質な温泉もある。人情味豊か。もう最高~!』と言って、僕に一言もしゃべらせなかった。しかも平山旅館を宣伝するならまだしも壱岐に終始した。その壱岐を愛する心、熱血さに負けたと思ったから書きました」と答えてくださいました。

 ――壱岐を愛する気持ちが修造さんの心を打ったのですね。 

 平山 修造さんは「僕は元テニスプレーヤーだから人に負けるのが大嫌いな男ですが、正直負けたと思いました」とおっしゃった。で、「今度なんて書いてくれる?」って尋ねたら「内緒」と言われました。

 ――「パワースポット」ですね。

 平山 そうそう。それで、「僕が書いたということの証拠に残さないといけないから一緒に写真も撮りましょう」と言ってくれました。有難いでしょう? 世界的に活躍している方が、こちらが頼みもしないのに。

 ――修造さんは、阪急や東宝、タカラヅカ創始者の小林一三翁の曾孫でサラブレッドですが、福岡出身の行徳哲男さんが主宰している「BE訓練プログラム」に参加して、ああいう風にガァーッと弾けたらしいですよ。

 平山 行徳さんは知っています。お二人に接点があったとは?

落ち込んだだけ
幸せを実感できる

 ――女将さんのパワーの源泉は何ですか?

 平山 私はいつもみんなから、「あんたなんでそんなにいつもハイテンションで元気なの? 落ち込むことないの?」と尋ねられる。落ち込んだことは1度だけありました。四男坊が自殺したのです。あの時はさすがに私も悲しみに暮れました。その理由が、信頼していた税理士さんの保証人になって。その税理士さんも自殺したからしょうがないのですけど。それが今までの人生で一番つらかったですかね。月日が経つにつれて薄皮が禿げるように、もうこの子はこういう運命だったのだと思うようにしています。テレビ朝日「無人島サバイバル」を始め、いろんなテレビに壱岐観光協会の法被で出演して壱岐を宣伝していました。壱岐中の人達から応援してもらってね。しかも末っ子の四男坊じゃない。

 ――可愛いですよね。

 平山 うん、もう可愛い。で、他の三人の息子達から「4番目を疎かにして愛情が少なかったのやろ?」とか冗談を言われましたけど。ずーっと良いことばかりだったら、その良いことが自分でわからない。落ち込んで悲しいことがあったら余計に引き立つでしょう。だから人生面白い。それから私、家族のみんなにストレスを撒き散らかしているの。亡くなった義母もみんなしょぼーんとしていました。主人はね、「本当お前、人の言うこと聞かんね」と私に言うのです。「本当なんでかね~。どうしてでしょうね~」と人ごとのように返すから「お前のことを言っているのだろう」と。「そうよねぇ」と言って~。本当ダメなんです(笑)。あはははは。その後、首相夫人の安倍昭恵さんが2度も平山旅館を訪ねてきてくださいました。

 ――その会長という方は、女将さんに好きなように羽ばたかせていらっしゃる。

 平山 いやいや。主人は石橋を叩いて渡る人ですから、なんでも「もうやめとけ」「そんなのうまくいく訳がないやろうが」と私がやることに全て「ダメ!」と言うのがわかるから聞いたふりをして聞かない。で、やりたいようにやっているのですよ。そんな感じ。

 ――大丈夫ですか? 

 平山 かと言って愛されているので大丈夫です。主人はうちの嫁や仲居達に「女将はまた東京へ行った!」「なんで行かせるのか?」と言って怒るらしい。だから嫁や仲居達は「自分の嫁だから自分で止めればいいのに。そんなこと私達に言われてもどうしようもできないわよね」みたいな話になるらしい。だけど彼女達は私には言えないので黙っているわけです。それで私が「ただいまー」と明るく全然悪気なく帰ってきて「こうだった、ああだった」と楽しそうに話をして、それを聞くのが旦那さんの楽しみでもあるの。だから、「もう馬鹿みたいだ。会長は女将にはなーんにも言わん」と私達に怒ってね。そんな感じの人生を送ってきました。昨年、ニューヨークへ行った時は期間が長いのでチケットを買って先に若女将に言うと反対されるので、まず主人に「行って来ます」と言って無理やり同意を得て、若女将に「よろしくね」と言った。すると「私、子供がいるから無理です」という言葉が返って来たけど、「孫は主人が面倒見てくれるから大丈夫よ!」と突き放して出て行きました。ははは。

 ――その光景が目に浮かぶようですね。

 平山 うちの家族を知っているだけにわかるでしょう。

 ――昨夜、人格者の会長と二人でいろいろ話をしました。

 平山 本当にハートのある、いい人なんですよ。でも……。

 ――どうしたのですか?

 平山 義父はめっちゃくちゃ煩わしい人だったけど、一人で住んでいた本家に私フランケインシュタインのかぶり物を被って行ったわけですよ。でね、義父がテレビを見ているところへ「お父さん、おこんばんわ~」と言って部屋へ上がって行ったの。そしたら、「はぁっっ!!!」って、3メートルぐらい飛び上がった。あまりにびっくりしたけん、「お義父さん、私、私!」と言ったら「この馬鹿たれが! 年寄りを驚かせるな~!」と叱られました。私、「ごめんなさーい」と笑って言うくらいにお茶目だった。
 その義父は私のことをすごく可愛がってくれて、洋服はバンバン、車も2台買ってくれた。それで私、主人に言うのです。「あなた、めっちゃドケチやね。あなたのお父さんは、私になんやかんや買ってくれたよ。あなたは嫁に何にも買ってやっていないじゃん。あなたお金あるのだから買ってやりなさいよ。少しでも好かれた方がいいでしょう!」と言ったの。そしたら黙ってしまって。嫁にプレゼントを買いに行ったようです。あはは。

郷土愛を育むため
民話劇団等を創設

 ――女将は趣味も多彩ですし、40歳からスキーを始めたとか?

 平山 いや、40歳から乗馬で、50歳からスキー、60歳から燻製工房を始めました。

 ――この島に著名人も多数呼ばれたそうですね。

 平山 子供達に生の音楽や演劇を見せようとして「子ども劇場全国センター」のキャラバン隊を見てから、壱岐の民話を方言で演じる子供の劇団を創設し、私の相棒で元公立幼稚園の保育士で母親仲間の入江淑子さん(現・笑いヨガ講師)が演技指導を担当してくれました。方言を全然使わなくなったので、劇の中で「ご容赦ござりやすでしょうか」「いいんけござらんとですわな」「お嬢さんはどけおいでましたなぁ」「なんじゃり知らんばって、そうでぇさんがていたちござるとですわな」といったやりとりです。

 ――どういう意味ですか?

 平山 自分が持って来たおはぎを小僧さんが食べて、和尚さんにバレるからその餡子をご本蔵にペタペタ塗って、「仏像が食べています!」と。「一休さん」のような内容です。私は自分の4人の息子を育てながら地域の子を35人ぐらい集めて、寄付してくれる人も募って、「今度私達を呼んで~! タダで泊めて~。食事出して~」とか言って、いろんなネットワークにお願いして、長崎、福岡、大分といった公演先へ連れて行っていたの。

 ――郷土愛を持たせようにしたのですね。

 平山 そう。故郷を愛する青少年を育てるためです。うちの後継者の周太朗達の年代が一番多い。昔、演劇をしていた子供達は壱岐にUターンして、ここに住んでくれて。その中でも湯本はみんな子宝に恵まれているのです。彼らは「いき湯がっぱ海の駅」の施設を借りて島の活性化のためにいろいろ活動してくれています。いい思い出があるからこそ地域おこし等で波長がすぐガチッと合うのです。うちの嫁にも「彼らの子供達が今、太り上がって、ちょうどいい頃だからみんなを集めて劇団してね」と頼んでいます。

 ――著名人を招聘して講演や公演も実施されたとか?

 平山 「生の音楽を聴く機会を設けたい」と言っていたら長崎・川棚町のギタリスト山口修さんと長崎市の詩人風木雲太郎さんを紹介してもらって、子供のギターのスクールコンサートを28校で企画しました。そしたら山口さんが「長崎県の全島回ってギター弾いたら僕爪が割れました」と言いました。これに子供達も連れて行ったから感動したわけです。

 ――いいものに触れるということはとても良いことですね。

 平山 うん。それはもう40年ほど前の話です。その時に歯科医師さんを会長に立てて、いろんな仲間を集めて「島よせコンサート」の実行委員会を組織して、市長を始め、長崎県の出先機関、税務署長、警察署長などお偉いひとのところへ私が営業に回って、「年会費1万円、壱岐のために出してください」と言って100人集めたの。で、毎年100万円は絶対入ってくるわけです。その方達に春秋のコンサートのチケットを2枚ずつ渡して、28年で56回行ないました。その間、四代目江戸家猫八さんの長男で二代目子猫さんがテレビで私を取材に来て「僕も芸人ですから、宿泊費だけで漫才と手品師を連れて来ます」と言って来てくださったの。そういういろんなツテができて、加藤登紀子さんの歌を聴いたり、白鳥の湖のクラシックバレーや中国雑技団まで招聘しました。

 ――セールストークは?

 平山 私の役目は「壱岐は凄いのです。ご馳走がうまくて温泉が良い。これだけでも充分な価値があります」と口で何とか。あははは。ダークダックスも友達の奥さんの一言から始まりました。「宏美さん、ダークダックスが結成50周年で新聞に載ったよ」と聞いて「わかった」と言ってダークダックスの事務所を調べて電話しなした。そうたら秋山敏臣さんというマネージャーさんが出てこられたので「すみません」「あなたどなたかとお知り合いですか?」「はい、ゲタさんの知人の紹介で」とか言ったら信用してもらって。その時、ゲタさんと電話で話をしてお名前が喜早哲さんというのも初めて知って、「わかりました。ではマネージャーの秋山に行くと言っておきますから」と言ってくださったの。凄いでしょう。

 ――低価格で?

 平山 もちろん旅費は出しますが、みなさんギャラは安くしてくださった。56回だからもうめちゃくちゃやりました。その時、主人が何の役に立つかというと、とにかく新鮮で美味しい料理を振る舞う。それでみんな感動していましたものね。「こんな美味しいもの食べられるならいいね~」みたいな感じで。それで他の著名人を紹介してくださったり。

女将と安倍首相の
官邸での2ショット

 ――JTBトラベランド主催「21世紀に望まれる旅館像」大賞などを受賞されたとか?

 平山 あれは千葉の長男の嫁が手伝ってくれました。旅館はどうあるべきかと言ったら、主人が地元の人達が飲みに来る、からへいの間が昔は玄関を入ってすぐのところにあったのです。私は前から人使いが荒いから漁師さん達に「あんたタダ酒飲んでいるから削り節作れ」とか「あれしてこれして」と扱き使っていました。地域の青年宿みたいな感じになっていたのです。主人はあんまりペチャクチャ言わないけれども優しいから、人に振る舞うのが好きなの。で、「飲め飲め」と言って飲ませるからいつも私と喧嘩になった。私は酒が惜しいわけではなくて飲みすぎると帰らないし、いつまででもくどくどくどくど同じことを言うでしょう。それが嫌だから「帰んなさーいっ!」と言って癇癪を起こしていた。「あ、また女将が怒り出したけん、そろそろ帰ろう」と言い出だすぐらいみんな長居をするような居心地がいいコーナーだったの。それがこの旅館を新築する時に場所がないというので主人が離れに全部自分で建てたのです。すごい人ですよあの人は。

 ――器用な方ですね。

 平山 ほんと器用。

 ――平成26年に内閣官房と農林水産省が、農山漁村活性化の優良事例を選定する「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」で女将が代表を務める「島のめぐみ観光農園」が全国251応募者のうち23カ所の優良事例のひとつに選ばれ首相官邸で表彰されたそうですね。

 平山 そうそうそう。あれは料理研究家の先生から「宏美さん、内閣府があなたにぴったりの企画を募集しているからインターネットで応募しなさい」という電話があったの。で、「お宏美さん探したのー?」「すみません。先生ちょっと出なかったですよ」「私がアドレスを送るからクリックして!」といったやりとりの後、応募様式がいっぱいあって、締め切りが10日後なのに、旅館も自宅も建て替えしていて無農薬に取り組んだ14年間の歴史が探せなくて。私は一計を案じたの。受付が熊本の農林水産省九州農政局で田舎だから優しいかもしれないと思って「すみません。これ今日知りました。東京のある方からぜひ応募しなさいと連絡があったのですが、忙しいし資料がどこにあるかわからないので、とりあえず鏡にグループ名を書いて捺印して送るので受け付けていただけますか? 他の資料は10日以内に必ず送りますから待っていてください」と言ったらOKだった。凄いでしょう? 何でも諦めちゃダメなのだって。それからあっちこっち探して、地域の人を呼んで私が無農薬で作った郷土漬を味見してもらったりいろんなことをして、全部まとめて出したら251件の中の上位23に選ばれたのですよ。

 平山 そうそうそう。あれは料理研究家の先生から「宏美さん、内閣府があなたにぴったりの企画を募集しているからインターネットで応募しなさい」という電話があったの。で、「お宏美さん探したのー?」「すみません。先生ちょっと出なかったですよ」「私がアドレスを送るからクリックして!」といったやりとりの後、応募様式がいっぱいあって、締め切りが10日後なのに、旅館も自宅も建て替えしていて無農薬に取り組んだ14年間の歴史が探せなくて。私は一計を案じたの。受付が熊本の農林水産省九州農政局で田舎だから優しいかもしれないと思って「すみません。これ今日知りました。東京のある方からぜひ応募しなさいと連絡があったのですが、忙しいし資料がどこにあるかわからないので、とりあえず鏡にグループ名を書いて捺印して送るので受け付けていただけますか? 他の資料は10日以内に必ず送りますから待っていてください」と言ったらOKだった。凄いでしょう? 何でも諦めちゃダメなのだって。それからあっちこっち探して、地域の人を呼んで私が無農薬で作った郷土漬を味見してもらったりいろんなことをして、全部まとめて出したら251件の中の上位23に選ばれたのですよ。

 ――10倍強の確率ですね。

 平山 内閣府が「3人分の旅費・宿泊費を出すから首相官邸に来なさい」と言ってきたの。グループのメンバーに尋ねたら「とんでもない、そんなところ私達は行けません。行っただけでぶっ倒れますから、女将さん代表で行って来てください」「えぇ、私も嫌よそんな一人で。全然関係ない人を連れていってもおかしいじゃん」ということになったけど、「23グループだから、来なかったら困ります。それぞれに賞状を授与し、テレビや新聞も呼ぶから何とか来てください」と言われて、養蜂のメンバーの主人と、獣医の義兄を無理やり誘って行った。その時、安倍晋三首相と2ショットを撮ったの。

 ――SPがいる中、よく撮れましたね。

 平山 安倍首相と林芳正農林水産相(当時)がまず九州の代表と飲んだり食べたりして、近畿や関東、北海道まで行った。その後、首相が一人でテーブルの間を縫ってこっちへやって来たので、「チャンスだ!」と思ったわけ。で、ご本人に「すみませ~ん。私こういう首相官邸なんてもう一生来られないので2ショットをお願いしていいですか?」「あぁ、いいですよ」となって農林水産省のお兄ちゃんに「早く撮って!」と。あはははは。

 平山 安倍首相と林芳正農林水産相(当時)がまず九州の代表と飲んだり食べたりして、近畿や関東、北海道まで行った。その後、首相が一人でテーブルの間を縫ってこっちへやって来たので、「チャンスだ!」と思ったわけ。で、ご本人に「すみませ~ん。私こういう首相官邸なんてもう一生来られないので2ショットをお願いしていいですか?」「あぁ、いいですよ」となって農林水産省のお兄ちゃんに「早く撮って!」と。あはははは。

 ――クリナップ福岡ショールームで「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」の女将の授賞のお祝いが催され、当時の麻生渡福岡県知事・全国知事会長が「私には孫が7人いますが、みんな平山旅館のファン。私もよく行かせていただいています」と祝辞したのを皮切りにJR九州の石原進相談役(当時)、久留米大学名誉教授の薬師寺道明ドクター、九電工の橋田紘一相談役(当時)らが駆けつけたとか? 人脈の広さが桁違いですね。

 平山 そんな情報よく見つけたわね。

 ――インターネットに載っていました。

 平山 元々私は福岡県の田川市の出身だけど、一般社団法人福岡県中小企業経営者協会(現・一般社団法人地域企業連合会九州連携機構)代表の小早川明徳さんがたまたまうちにお出でて、からへえの間に感動して、いたく主人と私を気に入って、福岡で宣伝しまくってくださったの。今年も福岡県知事の小川洋さん、それから福岡市長の高島宗一郎さんの賀詞交換会に誘われたので若女将を連れて出掛けようと思っていたの。早く引き継いで農業にハマりたいから旅館は私が元気なうちにと思って。でも若女将が「1月6~10日まで沖縄へ講演に行ってください」と。あの人がネットでいろいろ仕事を引き受けるの。で、「真希ちゃんあんた、こんなハチャメチャな女将がしゃべったら恥ずかしいやろ?」と言うと「いいの。呼ばれたから行ってきい。沖縄へ。講演料は旅館に入れますから」と。しっかりしているやろう? めっちゃ面白い人。一昨年は電通本社にも行ったの。「若女将が行け! 何をしゃべってもいいから」と言われて。

旅館は若女将に託し
農業に精出したい

 ――昨日、若女将に初めて会いました。パソコンのキーボードを叩くスピードが半端なくすごいと思ったら、かなりの経歴の持ち主だとか?

 平山 そう。めっちゃ頭いいから、めっちゃ頼りになるのです。帰国子女で英語もペラペラで慶應出て、外資系企業で広報を担当していたの。みなかみではさまざまなイベントを企画し、観光庁から表彰された。温泉ソムリエでもあるのよ。会社で計算ばっかりさせられて来ているから、何でもチャチャチャチャチャー! 原価計算もバーっ。私が要らないことをしていると「それはやらなくてもいいのでは?」と言うから私は「ケチケチ、ケチケチ、ケチケチ嫁」と言って怒るのです。主人も無駄が嫌だから「あなた達、いいコンビだわ。ケチケチ組、はい2ショット撮ってあげるから」と言ってやった。そしたら嫁が主人に「お義父さん、私が嫁に来てよかったですね。女将や周太朗みたいな大判振る舞い組ばかりだったら、ここの旅館も傾きますよね」と。めっちゃ面白いよ。最近、主人に誘われて狩猟免許を取りましたよ。

 ――福岡県田川の方の特徴は宵越しの金を持たないとか?

 平山 川筋者は大判振る舞い。「いつ死ぬかわからないのに貯金なんかしてどうする?」みたいな気風ね。だから年配のお客様がおいでて、嫁のこととかいろいろ話す時、最後に「お客様、要らぬことですけれども、いくらお金を持っていたって、亡くなったら子供は争いをするばかりです。生きている間に嫁や婿に、何やかんや買ってやって、孫にも好かれた方がよっぽどいいですよ。私はいつもそう思います」と言うのです。財産を残すと、表面上は仲良く振る舞っていても裏では本当に醜い争いをしているよ。

 ――一族で争う相続、争族ですね。 

 平山 そう! 本当にそう。お金は生きているうちに使って経済を循環させないとね。

 ――ネットショップの「壱岐もの屋」はシーズンに関係なく販売できますね。

 平山 平山旅館が運営する壱岐島の特産品販売サイトです。からへえの間で「何か島のためになることをしたいね」という何人かの有志が焼酎を酌み交わしながら発案しました。商品には「壱岐を代表する郷土料理」の鶏ひきとおし鍋や天然鴨鍋、旅館の賄いで出していた鯛茶漬け、島茶漬け、主人が育てた日本蜜蜂の生はちみつ、私が植えた梅を壱岐の蔵酒造で製造した「女将の梅酒」などがあります。平成13年に楽天市場に出店し、14年に日本オンラインショッピング大賞最優秀賞、15年にSOHOドメインホームページ大賞審査員奨励賞、17年にシックスアパート賞を受賞しました。

 ――会長は潔いですね。周太朗さんの腕前が上がったのを確認すると平成12年2月に代表取締役と板長をサッと譲って、日本蜜蜂の育成や釣り等に身の置き場を変えられました。

 平山 あの人は執着がないし本当によくできた人です。

 ――今後のビジョンや計画をお願いします。

 平山 本年中に女将を交代したい。と言っても完全に引くわけではなくて、協力はしていきます。女将を引退したら孫に美味しいご飯を作ってやりたい。それから循環型の農業を目指したい。生ゴミの再生とかは役場に提案しているけどこちらは道半ばです。全てのことを自分一人で行なうのは無理だから、若い人に夢を託し、次世代に引き渡して継続していく。そのための土台づくりが一番エネルギーを伴うので力を注入しないといけない。
 主人は木を植えるのが好きです。レモン、ユズ、橙、桃を植えているので「どうするの? 私達が元気なうちに果実にならないじゃない?」と尋ねると、「この木が太った時、『宏美ばあちゃんが植えた木が成長して、こんな美味しい実がなって……』と言われるぞ。なんでも種を蒔いたり苗を植えないと始まらないのだ」と答えました。人間と木を育てる。それが今の私達の一番の生き甲斐です。

プロフィール

平山宏美(ひらやま・ひろみ)さん

昭和22年、「青春の門」の舞台、福岡県筑豊の田川市生まれ。川筋気質の根性と楽天さは天下一品。女将業はもとより地域の活性化・島の素晴らしさの紹介に力を注いでいる名物女将。「島のめぐみ観光農園プロジェクトチーム」代表として、平成 26年 「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」に選定される。「鯛茶漬け」が3年連続でJAL国際線の機内食に採択。現在は、イカ、タコ、アワビ、サザエ、地鶏、鴨、イノシシの燻製作り、日本蜜蜂の養蜂にも取り組んでいる。福岡、熊本、東京等で郷土料理教室を開催。平成元年、長崎県地域文化賞「壱岐民話伝承グループいろり座」(長崎県)、平成26年、サントリー文化振興基金NHK長崎局長推薦賞「弥生の夢舞台・一支国座」(サントリー)に選ばれる。国土庁(現・国土交通省)「よい風が吹く島が好き女性委員会」委員を歴任。

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