「二者択一だと、ひとに影響される人生になる」
医師・医学博士の國米欣明氏の講演を聴き、「『すぐにキレる子ども』になってからの対応は、大変な労力と困難と犠牲をともなう仕事になる」とのことばが心にずしんと響いた。
そして次男の誕生から振り返ってみた。
長男が生まれた平成元年に任天堂「ゲームボーイ」、その翌年に同「スーパーファミコン」が誕生し、世の中がテレビゲームに乗っ取られたといってもいいほどだ。
長男が「ぼくも『ゲームボーイ』が欲しい」と言い、妻も「買ってやろう」と長男をアシストするが、わたしはなんとなく幼児の脳が侵されるような気がして4歳まで待たせた。
國米氏の「眼窩前頭皮質の発達(耐性のトレーニング)の臨界期は3歳まで」によると、長男は何とか水際で食い止めたと言えるかもしれない。
ただし友だちの家にあるゲームを借りて常用していたらアウトだ。
長男と3歳違いの次男は、長男が自宅でテレビゲーム三昧だった1歳のころから自然になじみ、3歳のころは兄と変わらぬ上級者だったようだ。
ジャスコ(現・イオン)等でほしいものがあれば「ワーン!」と泣き叫び買ってもらうまでその場を離れない。
絵画もピアノもそろばんも学習塾も「遊びたい!」が上まわりダダをこねてつづかない。
比較的長続きした剣道も周りの期待をよそにやったりやらなかったり。
中1のとき学級委員だが、中2の夏休みから徐々に軌道からはずれ、そのうち手がつけられなくなった。
中2で「携帯電話」、高1で「バイク」がほしいと騒ぎ、聞きいられないと、みさかえなくなった。
國米氏の言う「制御機能を失った」状態のようだ。
中1と奥星余市の高1のときのように担任と相性がいいとがんばるが、新しい担任にかわり厳しかったり自分とあわないと思うとダメになる。
ストライクゾーンがかなり狭い。
次男が幼稚園児のころ、長男が根性をつけさせるために同級生と戦わせていた。
妻は短大の児童教育科専攻で國米氏がマイナスを指摘する「子ども中心の育児法」を習っている。
わたしは自分が育てられたようにわが子にも厳しくあたりすぎた。
これらも少なからず影響したかもしれない。
そんな妻との夫婦喧嘩の発端はほとんどと言っていいほど育児をめぐる方法の違いだった。
奥星余市時代の担任・校長・下宿の大家へ次男について尋ねると、総合してつぎのように言われた。
「かれががんばったときのエネルギーは半端ない。しかし『好きか? 嫌いか?』『味方か? 敵か?』の二者択一でひとを見て、『嫌い』『敵』となって柔軟性を欠いた場合、自分がなく『ひとに影響される人生』になり、もったいなかっった。自分に芯や柱を持つことが重要だ」