東京・中野区の新井薬師前の雑居ビル2階に「しょぼい喫茶店」がある。看板に貼ってあった手書き段ボールは風で飛んで今はない。店主の池田達也氏は就活に失敗して鬱になり死にたいと思ったが、喫茶店の自営を思いつく。大学卒業を控えた開店前にTwitterやブログを駆使して開業資金の100万円を投資家から得て、Amazonほしい物リストで呼びかけ備品を揃えた。開店後はTwitterやブログに加えメディアの取材も入り、日替わり店長制で稼働時間も増やし、毎月黒字を計上、自著も刊行。1年後には100万円の恩送りを行なった。
■ ゲスト
しょぼい喫茶店店主 池田達也氏
■ インタビュアー
旅するライター 山ノ堀正道
就活に失敗して
鬱の症状になる
――私は昨年7月31日に定年退職して、その2日後の8月2日に「しょぼい喫茶店」の看板が目に入りおそるおそる入店しました。「しょぼい」と書いてあったので不安な気持ちで入店したら店内は割合綺麗で安心しました。サラリーマン時代には決して目に入らなかった剥がれた看板に誘われたのは不思議な出来事でした。それからこの店に通い始めました。池田さんがそもそも喫茶店を開店しようと思った理由は?
池田 就活につまずいてどうしようかと思った時、自営業があるということを知って、飲食が参入障壁が低いのでいいかなと思いました。さらに喫茶店は自由度が高く、何をやってもOKという空気が自分は好きだなと思いました。
――自営業といえば長野県のお父さんの会社へ入る選択肢もあったのでは?
池田 大学在学中に父と話した際、新卒で会社を継がせるといいことがないと聞いて、自分もネットとかを見て創業社長のゼロから始めた熱意と2代目の適当な感じがうまくいかないというのを調べました。父も僕にすぐに継がせるつもりがなかったし、自分もそう思わなかったですね。
――田舎に帰ろうとは?
池田 向こうの方が家賃も安いので友達とシェアハウスでもしてと思っていた時期もありました。ただ、東京は生活費がかかるけれど人がたくさんいるのでよくわからない多様な生き方を受け入れてくれやすいというのがあります。フリーターへの当たりがきつい田舎をやめて、緩い東京にしました。
――就活が失敗したとのことですが、どんな活動をしましたか?
池田 大学3年の3月から始めて6月で断念しました。本当に行きたかったのは1社だけで、その会社が属する食品業界を中心に20社近く受けて思うようにいかなかったからです。
――上智大学という立派な大学ながら思うようにいかなかったのは?
池田 根底に働きたくないという気持ちがありながら、無理やり就活生として頑張っていたからだと思います。それと自分にとっては面接でニコニコして相手の目を見ながらしゃべるというのがかなりのストレスでした。それを働きたくないというモチベーションで行なうのがかなりきつかったですね。
――私が就職試験を受けた時は自分をストレートに出して採用されるような感じでした。それが十数年前、前職で採用を担当した時、面接で笑顔と言葉に騙されたことがあります。入社後に「毎週読んでいる」という経済雑誌の話題を振ると、「それ読んでいません。私は小説が好きです」とか言われて愕然としました。面接官はよく騙されているので、池田さんが誠実を通せばむしろ好感を持たれたかもしれません。
池田 そうですか?
――就活をやめてどうしました?
池田 生きていくためにはお金が必要で、お金を得るためには働く必要があります。働けない自分は生きていくのに向いていないのではないかと思うようになりました。一時期は死にたいと思って眠剤を飲んで寝て、起きたらまた眠剤を飲んで寝るような生活をしていました。そんな時、京都大学卒の「元日本一有名なニート」で知られるpha(ファ)さんの著書『持たない幸福論』(幻冬舎)に出会って、就職して働いて結婚して家を買って、そんなレールの上に自分の幸せはないと思いました。自分の幸せについて考えたら、友達と会ったり、安くてもおいしいご飯を食べたり、あまりお金がかからないものでした。
――喫茶店を経営したとしても働かなければいけませんね。
池田 当時の自分が思っていた「働く」というイメージは自営でなく、就職して勤めてということしか念頭になかったです。朝早く起きて、満員の通勤電車にもまれて出勤して残業して大変そうだなと想像しました。
――鬱状態は就職活動に失敗したからですか?
池田 落ち込んで症状が鬱っぽかったのですが、実際医者で診断はされていません。就活が一番の原因だったと思います。
――小学生の時は児童会会長、中学生の時はバスケットボール部キャプテンで活躍していたのに、高校に入って顧問の先生に胸ぐらをつかまれビンタされたりして自尊心が崩れたと言っていましたね。
池田 朝5時に起きて6時前に家を出て、6時半の電車に乗って、7時前に誰よりも早く登校して、ひとり体育館でひたすら練習しました。夜も全体練習の後、20時過ぎまで居残り、20時半の電車に乗って、家に着くのは22時前でした。大変だけど、この生活を続けていけばいつか必ず報われる、いつか認められてレギュラーになれる、と自分に言い聞かせていたのですが、糸が切れて1年の終わりに部活をやめました。
――高校でのモチベーションはどう保ちましたか?
池田 1年は部活して、2年は帰宅部の人達と遊んで、3年の時は猛勉強して大学受験しました。猛勉強したきっかけは春休みの時に公共施設の自習室へ行ったら中学の時のクラスメートがいて、「半年前から早稲田へ行きたくて受験勉強している。今、偏差値はこれくらいだ。今から取り組んでも間に合うんじゃない?」と言われて仲良かったのもあるのですが一緒に1年間頑張りました。
――どこの大学へ行こうといったのはあったのですか?
池田 そこそこ名の知れている大学であればと思っていました。上智でなければというのはなかったです。
100万円の支援者が現れ
しょぼい喫茶店を開業
――Twitterやブログに「生きていくために喫茶店をやりたいので、どなたか開業資金を援助して欲しい」とつぶやいた着想はすごいと思いました。
池田 昨年1月にブログを始めて、自分はどんな人間でこれから何をしたいかを書きました。その半年前ぐらいにTwitterをやっていたら「○○さんがいいねしました」という記事から豊島区内でバーやリサイクルショップ、学習塾を経営していた「えらいてんちょう(えらてん)」さんと平塚市内で不動産投資を行なう「カイリュウ木村」さんの存在を知りました。その中に「えらてんさんメソッド、都内開業で素直そうな子なら普通に食いっぱぐれないと思う。100万円くらいなら面倒見るからとりあえず挑戦する姿見たい」とあったので「詳しいことはよくわかりませんが、仮想通貨で稼ぎまくった人、税金対策で100万くらい僕にください。しょぼい喫茶店やります。税金対策になるかどうかはわかりません」と書き込みました。
――池田さんが書いても、えらてんさんやカイリュウさんが見ない可能性もあったのでは?
池田 えらてんさんはすごいエゴサーチ(検索エンジンなどを使って自分の本名やハンドルネーム、運営しているサイト名やブログ名を検索し、インターネット上における自分自身を確認する行為)をする人と知っていたので、ブログとかで「自分はこういう人間です」といい感じで書いていれば印象良く読んでくれるのではないかと思っていたらその通りに「あったことないひとですが面白そうなんで100万くらい投げてみてくれませんか?」と反応してくれました。
――えらてんさんがカイリュウさんを紹介してお見合いのような形になったのですね?
池田 昨年1月にえらてんさんの先輩が経営している横浜・日吉のバーでいろいろ話しました。自分は確定で顔を合わせて終わりかなと思っていたら、二人とも利益率や利回りなどかなり真面目な話をしていて、おいマジかと思いました。そのうちえらてんさんが「そんなに真面目に考えなくても大丈夫。もっと適当でいい」と言ってくれたので急激に話がまとまり、カイリュウさんも「出しますよ。確認をしているだけですから」と言ってくれました。その時、二人から「固定費を抑えた方がいい」とアドバイスを受け、見ていた物件は探し直すということで出資が確定になりました。
――中野区新井のこの店はどのようにして見つけたのですか?
池田 友達と一緒に不動産会社へ行って条件を「JRの高円寺駅や中野駅に近い場所」「飲食、居抜きで1ヵ月10万円以下で」と尋ねたところ「そんなのないです」と言われて「西武線沿線で調べ直してください」とお願いしたらバーッと出てきました。ここは新井薬師前駅から歩いて5分と近いです。
池田 友達と一緒に不動産会社へ行って条件を「JRの高円寺駅や中野駅に近い場所」「飲食、居抜きで1ヵ月10万円以下で」と尋ねたところ「そんなのないです」と言われて「西武線沿線で調べ直してください」とお願いしたらバーッと出てきました。ここは新井薬師前駅から歩いて5分と近いです。
――池田さんがハンドルネームを「えもいてんちょう」、店名を「しょぼい喫茶店(しょぼ喫)」にしたのは?
池田 学生時代に友人と新宿の交差点に立った時、「あの向こうの人達とは通りすがりの関係なんだと思うと感傷的になる」と言ったら「エモい」と言われました。それで、えらいてんちょうにあやかり、えもいてんちょうにしたわけです。お店の名前はえらてんさんの「しょぼい起業の勧め」からもらいました。
――後で奥さんになるおりんさんはどのような形で一緒に働くことになるのですか?
池田 僕のツイッターとブログへ「働きたいです」と一番最初に手を挙げてくれました。彼女は東京で看護師として働いた3年間が激務で精神的にも肉体的にも限界を超え、鬱病と診断され、郷里の鹿児島で静養していました。ツイッターのアカウントをつくったり、自分がつくったケーキやサンドイッチの写真を「こんな料理をしょぼい喫茶店で出したい」とツイートしたり、ブログを書いて自分のこれまでの経歴や今後どうしていきたいのかを発信してくれたり、しょぼい喫茶店オープンのために自主的に動いてくれました。2月に上京してからは開業に向けて一緒に取り組みました。
――アマゾンの「ほしい物リスト」を利用したそうですね?
池田 前から存在を知っていて「開店に必要な備品が欲しい」と書いたらほぼ揃えることができました。母も実家から使えそうな物を運んでくれました。消耗品のコーヒー豆やお酒など消耗品はスーパーで買いました。
――おりんさんの上京は開店前だったですね。
池田 JR新宿駅で待ち合わせて、住む場所や給料などお互いの不安要素はさておき、ファミレスで開店に向け前向きな話をしました。
――二人のイベントバーエデン本店でのランチ営業は?
池田 えらてんさんに「エデンでプレオープンイベントをやりませんか?」と言われました。メニューは、コーヒー、紅茶、キーマカレーとチーズケーキでした。本当に人が来てくれるのか、売上げが出るのか心配したのですが、すぐに満席になりました。閉店までお客さんが途切れることはなく、売上げが当時のエデン昼営業史上第1位でした。当日のお客さんはエデンの常連が多かったものの、中に「エデンは初めて」と言う人もいました。
SNS効果で繁盛
1年後に恩送り
――しょぼ喫の開店は昨年3月1日ですね?
池田 そうです。大学卒業前に開業しました。
――開店時にはSNS(インターネット上で人と人の繋がりや交流を楽しむコミュニティー型の会員制サービス)で知られる存在だったのですか?
池田 そうですね。ある程度は認知されていたと思います。
――当初の開店・閉店時間とメニュー、お客さんの入りは?
池田 朝の11時から夜の23時まで12時間開けていたので大変でした。当初のメニューはコーヒー、紅茶、カレーライス、ケーキでした。コーヒーは1杯500円でケーキのセットだと800円程度です。17時からはテーブルチャージ500円をいただいています。当時はSNSの他にも『中野経済新聞』の「新井薬師に『しょぼい喫茶店』 うつ病患う学生が開業、皆が『生きる』ための場所目指す」の記事がどんどん拡散され、300人以上にリツイートされました。Facebookでは4000回以上シェアされ、「Yahoo!ニュース」やドコモの「スマートニュース」などにも掲載されました。
――開業月の業績はどうでしたか?
池田 3月の売上げは55万円でした。店で出すソフトドリンクもほしい物リストで入手したので35、6万円が残り、そこからおりんさんへ給料も払うことができました。学生マンションも3月に出ないといけなかったので、これならいけそうだと判断して部屋を借りました。
――モーニングサービスの試みは?
池田 開店からしばらくして開店祝儀で来てくださった方の足が遠のいたり、こちらも起きた時に適当に開けて寝坊したら休むというようにしていたら売上げがガクンと落ちてしまい、やばいと思いました。それで何か仕掛けてみようと思って朝7時や8時に開けてモーニングサービスの準備をしたのですが、お客さんが全然来ませんでした。朝の習慣の中に組み込まれないと難しいですね、今から考えれば。
――「日替わり店長」制度を導入した理由は?
池田 朝から夜まではきつい、とは言え早く閉めては勿体ないので、自分達が夕方17時まで働いて、その後空いている人に入ってもらおうと思いました。7~9月までは毎日何かしらイベントを行なっていました。
――ちょうど私が初入店した頃ですね。どのイベントが盛況ですか?
池田 イベントよりもイベンターですね。毎週木曜夜の向坂くじらさんの「ききカフェ」と料理が好評です。毎月1回のあまなつ通り商店会さんの「退職喫茶あまなつ」も比較的コンスタントです。
――シンガーソングライターの弾き語りや占い、プラレール好きとかもありましたね。
池田 ありました。日替わり店長自身もSNS等で呼びかけるので様々な方を連れて来てくれます。
――池田さんとおりんさんが結婚する前に「これは勘弁」というブログに「我々二人の関係を詮索したり訊くな」と書いてあって、信念が強い人だと思いました。
池田 シンプルに考えて牛丼店の店員に「彼女いますか?」「彼氏いますか?」と尋ねますか? 飲食店の店員にプライベートなことを尋ねるのはおかしいでしょう? 最初のうちはすごく思っていたのですが、言わないとわからないなと。
――質問があったのですか?
池田 ありまくりました。
――それは同年代? それとも上?
池田 様々です。
――鬱陶しかった?
池田 鬱陶しいよりも常識的に聞かなくないかと。ホールの女性とキッチンのシェフに「付き合っているのですか?」と尋ねたら気持ち悪いでしょう? わからない人には言わないとわかってもらえないです。
――ホテルやレストランの従業員から「お客から言われっぱなしだから居酒屋で憂さ晴らしをする」と聞きました。
池田 この距離感ですし、他の店なら一生会わないから割り切れるところもあるでしょうが、ここの店はここに来ると会ってしまうのでお互いに距離感が必要だと思いました。
――池田さんはおりんさんと結婚し、お子さんも誕生してお金がかかるところですが、開業1年後の3月に貯めていた100万円で「日替わり店長」へ「開業するように」と言ってポンと100万円を渡された。恩送りですね?
池田 恩送りです。子供のためにお金を貯めておくという発想がありません。お金は単に通帳の数字で、動いて初めて価値が出るものなので貯めていてもしようがないです。それと当時にあと何人かに100万円を出せるぐらい貯金がありましたから。
『しょぼい喫茶店の本』の続編
「日替わり店長」制を書きたい
――今年4月に『しょぼい喫茶店の本』を上梓されました。出版社へのアプローチは?
池田 アプローチの仕方が全くわからなくてなじみのある出版社のホームページのお問い合わせ欄へメールを思いつきました。妻が持っていた大原扁理さんの『なるべく働きたくない人のためのお金の話』という本が僕の書く内容と雰囲気が似ていたので出版社の百万年書房にアプローチしたらすぐにお店に来ていただいて、その場で出版が決定しました。
――書き始めてからのスケジュールは?
池田 昨年の8月9月からストーリー仕立てで書き始めて11月ぐらいにハウツー寄りの実用的な本にしようと路線変更しました。ところがビジネス書はこうすれば成功すると書いてあるけどそんなわけないだろうと思いながらパソコンを叩くのがしんどくなりました。編集部の方に相談したら「一旦、時系列に経験ベースで書き始めましょう」と言われてそれならと思って書き直して2月に脱稿しました。
――とても読みやすい本でした。池田さんはどんな気持ちで書いたのですか?
池田 エッセイを書くような感じであったことと思ったことを綴りました。
――おりんさんの「出口のない真っ暗なトンネルの中に、ひとりっきりでいるようでした」から始まる「長めのあとがき」も良かったですね? 「仕事を続けるか、今すぐ死ぬか」その二択しかなかったおりんさんが「夫の親友が手紙で書いてくださった『グルーヴ(高揚感)はひとりじゃ生まれない』。ひとりじゃだめなんですよね。誰かを守って、何かを守って、そうすることでなんだかいい感じの雰囲気が少しずつ広がっていくのだと思います。グルーヴが近くの人々に伝染し、少しずつ広まっていってくれたら、これ以上嬉しいことはありません」と書くまでになりすごい変化ですね。末永くお幸せに。
池田 ありがとうございます。
――著書の販促方法は?
池田 本を売るのは結構難しいです。出版社の方も「この業界で30年近くやっているけど、でかいパチンコ台で運要素が大きい」と言うので、なすすべがないなと思いながら、全国の大型書店に挨拶回りしました。それとエデンがある池袋、札幌、名古屋、京都、大阪、尾道、福岡の7ヵ所を巡り、「どうして本を書いたか?」などの話をしました。
――現在の発行部数は?
池田 1万部です。
――読者の反響は?
池田 本を読んで来店していただいたりしています。Amazonのカスタマレビューも97件あり5つ星のうち平均4.8です。新聞や雑誌のインタビュー記事や書評に載せていただいたことで、インターネットをあまり見ないような世代にも広まって、最近もバブルの前に退職した方が「子や孫に読ませた」という声がありました。
池田 本を読んで来店していただいたりしています。Amazonのカスタマレビューも97件あり5つ星のうち平均4.8です。新聞や雑誌のインタビュー記事や書評に載せていただいたことで、インターネットをあまり見ないような世代にも広まって、最近もバブルの前に退職した方が「子や孫に読ませた」という声がありました。
――お子さんが誕生してどうですか? どんな人間になって欲しいとかは?
池田 自分のためには働きたくなかったですが、結婚して家族のために働くのは苦ではないですね。こうなって欲しいとかはあんまり押し付けようと思っていません。
――経営者として開業1年半が経ちました。喫茶店成功の条件やこういう人がうまくいくといった思いを披露してください。
池田 まだ赤字になったり家賃が払えなかったということがないのは幸いなことです。飲食の経営者としては他責的な「あいつのせいだ」と思う人は厳しいですね。自営業は文句あるなら自分でやれよと言われれば言い返せないというか、それでいざ自分が動けるのかどうかが結構大事になってくると思います。
――今後の展望や夢で締めてください。
池田 これまでずっとネットやメディアを使って空中戦をしてきて大変でした。今後は地上戦というか、子供もできたので地域の方達と関わりを持っていこうと思います。お店も無理に広げようとは考えていません。自分達の生活を第一に考えて、無理をせずに生きていくことです。自分は就活時にしんどい思いをしたので、自分達が無理をしないでやっていき、こういう生き方もあるということを知ってもらえたらと思います。
書く方はこの前上梓した本の続編に挑戦です。軌道に乗ってきて、小規模ながら日替わり店長を人に任せるのはそれはそれで難しさがあったので、それらのことが書けたらいいなと思います。
プロフィール
池田達也(いけだたつや)氏
1994年長野県生まれ。上智大学文学部卒業。就職活動に失敗し、しょぼい喫茶店を開業。社会に窮屈さを感じている人達のオアシスとなっている。2019年4月、『しょぼい喫茶店の本』(百万年書房)を刊行。