116.リッツカールトンへ最後の家族旅行

  1. 朝飯前の朝飯

リッツカールトンへ最後の家族旅行

 われわれ家族はゴールデンウィーク(GW)に毎年のように東北や信州などへ旅行してきた。

 それは子どもたちが大きくなって部活動等で行けなくなるまでつづけた。

 今回の約十年ぶりの旅行は家族写真に続いて最後になるかもしれないとだれしも覚悟していた。

 千葉大病院の主治医の克本晋一医師が「思い出づくりの家族旅行でもしてきたら?」と提案してくれ、「行こう!」の声をあげたのは妻だった。


 長女が「ママが『早く迎えにきて!』と言っているから急いで」と言うので、車のスピードを上げて10時40分に千葉大病院へ着く。


 しかし、妻は「まだ片づけができていない」とのことなので、なんじゃそれと頭にきて、わたしはつい言わなくてもいいことまで口ばしってしまう。


 六畳一間の病室だが、片づけに手間どり、看護師さんへ「行ってきます」と言ったのは11時半、家には12時半着。


 妻が化粧や日焼け止め、着替えのあいだに、わたしは布団干しや庭に水やり、メールチェックなどをして待つ。


 家を外出するとき時計を見ると14時だ。


 こんなにやることなすこと甘いし遅い妻は初めてだ。

 妻に「何が食べたいか?」と問うと「お蕎麦」と答えるので、東金・福俵の「松作」へ行く。


 しかし、今度は焦っていた張本人のわたしが財布を忘れたことに気づいて、妻たちを降ろしてひとり家へ戻る。


「そば処 松作」と書かれたのれんをくぐると、妻たちはすでに蕎麦を箸ですすっている。


 長女とわたしの会話になる。

「東京ドイツ村の薔薇が綺麗らしい」

「入館しても見てまわる時間がないのであすにしよう!」

 一行はノアでザ・リッツ・カールトン東京へと向かう。


 千葉東金道路を走っているところで妻がことばを発する。

「わたしの薬を入れてくれた?」

「それはだれもたのまれてないから持参していないだろう」

 わたしは絶句しながら千葉東インターで降りて自宅へ戻る。

 あれほど明晰だった妻もガンが脳へ転移し侵されることで、出かけるときにこういったひと騒動になる。


 こちらとしてはそのことを割り引いて考えてやらないといけない。

 リッツ・カールトン東京の広い駐車場へ車を停め、45階のメインロビーでチェックインする。

 客室は47階から53階まであり、われわれは6人なので各階にあるコネクティングルームのツインを予約していた。

 子どもたちが「何階だろうね?」といっていて渡されたキーは、なんと不吉な49階だった。

 部屋を覗くと、一同、「うおーっ」と歓声を上げる。


 窓外の眺望も抜群だ。

 18時に予約しているフレンチダイニングまで足を運びディナーコースへ。

 妻は最初こそ「おいしい! おいしい!」と喜んで食べていたが、1時間半ほどたったところで「疲れた!」と言って首を垂れた。


 メインディッシュを早めてもらい、早々に部屋へ戻る。

 三男の「お母さん大丈夫?」の声が涙ぐんでいる。

 妻とその日の日記は、長女代筆&本人筆の合作だ。

「家族全員集合で“リッツカールトンホテル”へお出かけ。いままでにないリッチなフランス料理を二じかんかけて食べる。ボリュームまんてんだ。食後はちょっと疲れる。ここあお泊り」

 リッツ・カールトン東京では散財したが、家族の思い出づくりができた。

(つづく)※リブログ、リツイート歓迎

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