「わたしはもう二度とこない、この高校へ」
都立江東高校の入学式が行なわれた。
婚約中の笹原母が三男の晴れ舞台に同席してくれたのはいいが、ぶつぶつ文句を言いだすので思わず小声で反論した。
「この入学式はなに? あまりに形式的じゃない? 意外性もない。奥星余市のように自然体やアドリブでやらないとつまらない。生徒も優等生っぽい。もっとハチャメチャじゃないとおもしろくない」
「いいじゃないか? 本人たちが納得しているのだから」
「納得はしていないでしょ。型にはめられている。わたしが通った高校ににている。そのうち息がつまるよ」
「きみは息がつまったかもしれないが、この子たちは違うよ」
「わたしはもう二度とこない、この高校へ」
笹原母は式が終わるとやいなやさっさと会場をあとにした。
遠野夫妻を見かけたので式終了後、近づいてあいさつする。
「中学校にひきつづきよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。さきほどのかたは?」
「あーっ、婚約者です」
「きれいなかたですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「いまどちらへ?」
「さっさと外へでちゃいました」
「行かれなくてよろしいの?」
「どこかの店にはいっているはずです」
立ち話をしていたら笹原母から連絡がある。
「正門をでて左にある喫茶店にいるから」
「わかった」
遠野夫妻とわかれて、1970年代にはやったフォークグループのガロ「学生街の喫茶店」のような雰囲気の「カフェ・ド・ココ」の扉を開けると、笹原母が小さなからだでまんなかのテーブルの奥の席を陣どっている。
「さっさとでたんだね?」
「息がつまるから……。この店、いいね」
「そうだね」
わたしは千葉に住んでいるときは男性が奥の席に座るものだと思っていて亡き妻のときもそうしてきた。
しかし笹原母は「それは封建制度や家父長制のなごりだ。いまの時代、男は女性を大切にしなければいけない。上座をゆずるのが紳士のたしなみよ」といっていつもさっさと奥の席に座る。
会社で座る位置は序列を表しているので人間的に下位に落ちたような気になり当初違和感があったが、あえて敗けを認める、いな相手を優先してやると不要な口数もトラブルも減った。