映像は“ベストオブベスト”の表現方法 ドキュメンタリー映画を発信し続けたい

  1. 鄙のまれびとQ&A
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 「~みんなで“ひとついのち”を生きる私達。だからありがとう、すべてにありがとう~」を標榜するNPO法人ハートオブミラクルは「いのち」をテーマとしたドキュメンタリー映画を多数製作し、企業や主婦等からなる会員の自主上映によってその輪を広げている。理事・前代表の岩崎靖子氏はハートオブミラクルの設立以来、旗を振り続け7作品の監督を務めてきた。主な作品への思いや私生活についても聞いた。

■ゲスト 
 NPO法人ハートオブミラクル前代表・理事、映像作家 岩崎靖子さん

■インタビュアー 
 旅するライター 山ノ堀正道

「大地の花咲き」を機に
17歳年下の夫と結婚

 ――岩崎さんは5月5日が誕生日ですね。今日は7月7日ですが、なにか七夕の思い出はありますか?

 岩崎 七夕の思い出とかはないですが、ずっと運命の人に出逢いたいとよく七夕の時に短冊へ書いていました。17歳年下の旦那さんと結婚できたのは運命だろうと思っています。いつも「私に運命の人は現れるのだろうか?」と寂しく過ごしていた七夕が、今は相手がいて本当に良かったと思います。

 ――運命の出会いは最後に聞こうと思っていたのですが(笑い)。旦那さんとはドキュメンタリー映画「大地の花咲き ~洞爺・佐々木ファーム“喜び”ですべてを繋ぐ~」でお知り合いになったのですね。結婚披露宴の案内状をいただきながら出張のため行けなくて残念でした。この作品は作物に「ありがとう」と呼びかけることで、自然農法ながら収穫も伸ばしているというお話ですね。まだまだ化学肥料や農薬が幅をきかす現状にあって、行く前に「怪しい」、「北海道で経費もかかる」とは思わなかったのですか?

佐々木ファーム

 岩崎 この佐々木ファームのことは私の友人が大阪のイベントでPRしていたのです。「北海道の農家さんがイベントを行なう。大地くんという息子さんが4歳の時に亡くなってからすべての命と共生するチャレンジを行なっている。毎朝『愛と喜びを循環するぞ!』と宣言して畑に入る」という話を聞いた時に私はピピッときて、そのイベントへどうしても参加しようと思いました。その時はまだ映画にするかどうか決めていませんでしたが、一応ハンディカメラを持参したのがきっかけです。佐々木ファーム代表(当時)の村上貴仁・さゆみご夫妻の、農業を通して野菜や虫などの命に本気で向き合う姿は怪しいというよりも、全くその通りと思わせてくれました。

 ――イベントが良くて洞爺湖まで通ったわけですね?

 岩崎 そうです。インタビューの中でも、大地くんの存在を亡くしてどれだけ深い絶望の中から立ち上がってきたかということを本当にしんしんと感じてその中で摑み取っていった「ありがとう農法」だったのだなということを間近で聴いて感じた時に、これはもう真実だという感覚がすごく湧き上がりました。

 ――私も映画「大地の花咲き」を鑑賞後、さゆみさんの誠実なお話に納得させられました。日頃は目に見えないもの以外は信じない方ですが(笑い)。クランクアップの日に、旦那さんと入籍されました。農家で働いていると聞くと真っ黒い精悍な顔にがっちり体型をイメージしまましたが、この前お会いしたら色白の長躯、ハンサムで意外でした。最初にお会いになって印象とかは?

 岩崎 あっありました。その農家さんのイベントに初めて参加してカメラも回して、たまたま最初にインタビューしたのが彼でした。話を聴いている時に爽やかな風がぶわーっと流れるような気がして、なんて素敵な人だろう、もし同じ年代だったら絶対アタックするなーというふうに思ったのです。

 ――それが現実になって。

 岩崎 そうなのです。その時は、環境についてもよく勉強していて、「頼もしい若者だなあ、地球の未来が明るくなる!」と言いました。だからもう完全に違う世界の人という関わり方でした。

 ――交際のスタートと撮影期間は?

 岩崎 交際は会って2か月後で、結婚するまでに10か月です。アッハッハッハ。クランクアップまで1年でした。

 ――お互いにビビっときたんですね?

 岩崎 そうですねえ、そうだと思います。

 ――17歳年下ということで、世の女性陣に大きな勇気を与えましたね。

 岩崎 もちろんです。友人達から「アラフォーの星」「非常に勇気をもらった」とも言われました。だって17歳年下ですものね。子供と言ってもおかしくないぐらいですから。

 ――子供には年齢が近すぎます。旦那さんは今映画監督だと聞きました。全く初めての世界で岩崎さんが助言や指導をされているのでしょうが、張り合うことはないのですか?

 岩崎 それはないです。どこかで尊敬してくれていると感じます。前々から私に対して「もっとこうした方がいいんじゃない?」とか、いろいろ言ってくるので、私からのアドバイスとか絶対に聞かないだろうと思っていましたが、意外と素直に受け入れるのです。私と彼が得意とすることの分野が全く違うということもあります。だからお互い新鮮というか、彼も私も相手を頼りに補完し合っています。

「1/4の奇跡」製作以降、英断だった
自主上映と1人単位の料金システム

 ――NPO法人ハートオブミラクルの設立当時について伺います。入江富美子さんとドキュメンタリー映画「1/4の奇跡 ~本当のことだから~」を製作されたとき、自主上映とNPO会員限定の1人単位からの料金システムを採用された理由は?

日本一企業上映会

 岩崎 私達は映画を通して何かしら社会に変化が起きたら嬉しいなと思って映画を製作しています。どんな変化かというと、人と人がお互いに助け合う、全ての命が地球上で仲良く一緒に生けて行けるような未来を望んでいます。もちろん一人ひとりにDVDを販売して観ていただいて意識が変わってなにか変化が起きるという方法もありですが、自主上映だと必ず人と人の接点ができます。事務局側と主催してくださる方と何度もやり取りが必要になってコミュニケーションが生まれる。主催される方も1人で上映会となるとなかなか難しいので何人かでチームを組んで実施する。そこに観に来てくださった方と交流が生まれる。そのように人と人が触れ合えば必ず何か触発が起きて、次が生まれます。DVDであれば観て感動して終わりのところが、上映会を実施することで同じ意図を持った仲間たちが集まって、今度は映画の上映会でなくて、例えば映画「大地の花咲き」であれば、自然栽培のお野菜でランチ会を行なってみようとか、次に繋がった動きができ、いろんな絆が生まれるのではないかということで、徹底的に自主上映にこだわりました。そこで上映会に出て来られる人はいいのですが、入院や育児で小さい子供がいるお母さんなどに、何かしらこの上映システムができないかなと思ったのです。そうしたら1人からでも上映会が開けますというシステムが出来上がりました。

 ――1人からというのは経営的に……。

 岩崎 手間がかかって収益は見込めません。ただ私たちの目指すところは、そういう一人ひとりを大切にしながら、やれるだけやってみようということです。
実際、1人から可能としたら(具体的に何年間で何人とか)NPO会員もいっぱい増えました。会員には継続してお知らせを郵送するので、次の映画の応援団にもなってくださいます。映画の上映会の回数も動員数も増えましたし、結果的に続けてよかったです。

「日本一幸せな従業員をつくる」
深い愛が奇跡を何度も起こした

 ――岩崎監督自身はドキュメンタリー映画を7作品製作されています。私は前職で「日本一幸せな従業員をつくる ~ホテルアソシア名古屋ターミナルの挑戦~」の上映会で岩崎監督、「大地の花咲き」で村上さゆみさんを知りました。神奈川県内の上映会で「宇宙(そら)の約束 ~いのちが紡ぐ愛の詩~」を視聴しました。すべて心を打たれましたが、中でも「日本一幸せな従業員をつくる」の柴田秋雄総支配人(当時)に心揺さぶられました。日本全国こんな上司ばかりならどんなに日本が発展するだろうかと。それから自分はあそこまで部下のことを思えなかったという懺悔の気持ちですね。悲喜こもごものサラリーマン生活を振り返りながら観て、素直に良かったなあと思いました。

 岩崎 本当ですよねえ。ありがとうございます。

 ――最初はカメラを回す予定はなかったのですよね?

 岩崎 そうです。入江監督が「名古屋のホテルに面白い支配人がいる。ちょうど私達、今名古屋だから行ってみない?」という軽い気持ちで伺いました。私は撮るのが好きだから、せっかくすごく熱く語ってくださるから回そうという感じで回し始めて、その後の展開までは考えていませんでした。

 ――入江さんは撮ると言われなかったのですか?

 岩崎 いやそれが全然でした。話が盛り上がって、「あと10日でこのホテルを閉鎖する」と聞いて、柴田総支配人に「最後のシャッターが降りていくところをいっぱい映像に残してDVDにしてプレゼントします」と言って撮りました。その後、これは単なるプレゼントで終わってしまってはいけない、日本中の世界中の人に知ってもらわなければいけない、という感情が湧いてきて、取材から帰ってきた翌日に入江さんを呼び出して喫茶店で「私、これを映画にしたい。私に担当させてくれない?」と尋ねたら「いや私はもし『この映画を製作して』と言われてもうまくいかないから、ぜひやって」と言われました。

 ――お二人の思考(嗜好)が違うのですね?

 岩崎 入江さんと私は月と太陽ぐらい全然違うタイプです。入江さんと私の旦那さんは似ている感があります。任せてもらったので、わぁーい!という気分で製作しました。

 ――岩崎さんはリアルな方とスピリチュアルな方の両方に対応できるのですね?

 岩崎 そうなのです。スピリチュアルだけだとつまらなくて、それが現実の世界でどう作用するのかというところにすごく興味があるのですよ、私は。社会とかビジネスを変えていくバックボーンは何かとか。

 ――それがあるからハートオブミラクルさんはより多くの方々に認められるのでしょうね。柴田さんは、実際に触れ合ってどんな感じの人でした?

 岩崎 もう本物です。本物というのは、本当に愛の人。よく雑誌などで素晴らしいことを述べていても実際に会うとほころびが見える人がいますよね。だけど柴田さんはどれだけ付き合っても、徹底的に愛の人。私にも映画監督というよりも一人の人間としてものすごく大事にしてくださって。で、毎回メモもいっぱい書き出して今日は絶対これを決めるぞと思って行くのだけど結局、どれもできないのです。柴田さんがずっと世間話して、「飯行くぞー」と言って会食して、しかも「今日は泊まってけー」とか言われて、私化粧道具もなんにもないのにと思いながら、楽しくてもう夜の遅くまでいろいろ語り合いました。私、効率とか結果が大好きで、この時間でこれだけのことを柴田さんと詰めるぞ、決めるぞという思考回路だったので無駄な時間とレッテルを貼りそうですが、それがどんなに豊かですごく幸せな時間かということを教えてもらいました。1時間の中で、10個の議題を詰められたという達成感とは違って、満ち足りた幸せな時間を教えてもらったし、結局は回り道のように見えて近道なのです。その会話の中で柴田さんのバックグラウンドや何を大事にしてきたとかをいっぱいシャワーのように浴びているうちに、最初にこんな映画にしようと思っていたのとは全然違ったものになりました。ただし柴田さんそのものをできるだけ現せた映画になったと思います。

 ――ホテルがやっと赤字から黒字に転化したのに食中毒事件があって、これでもうお客が減ると思ったら営業再開の日に予約が殺到し、助けてくれる人がいっぱいいたわけですね? 墜ちたり上がったりとてもドラマチックでした。

 岩崎 食中毒事件は映画を撮り始める前の話なので、その場に私はいませんでした。が、どん底になって食中毒を起こして普通だったら経営の危機のはずが、予算以上に結果を出したとかなんでこんなにお伽噺のようなことばかり起きるのだろうというのは話をしていてすごく感じました。しかも皆んなも選び抜かれたエリートではなくて逆に落ちこぼれと言われる人達がたくさん集まっているホテルが、名古屋でナンバーワンの稼働率を叩き出す。これもまた対比というかドラマチックじゃないですか? 深い愛がお伽噺のような奇跡を何度も起こすのだなというのをすごく感じました。

映画製作に役立つ
付箋とコーチング

 ――膨大なカメラを回して、編集作業もすごく大変だと思います。その中で岩崎監督なりの編集方法を開示していただきたいのですが。

 岩崎 あります。もしかしたら普通はこんな組み立てにしようとある程度、脚本を決めて撮るのかもしれませんが、私は真逆で全くなにも考えずにとにかく撮り続ける手法です。たくさん回して、最後に映像を全部見直すのです。その時にハートを研ぎ澄まします。

 ――ハートを研ぎ澄ます?

 岩崎 自分の中でワクワクしたり感動したり心が揺れたり、そういう瞬間を見つけて、そこを映像の中からどんどん切り出していくのです。切り出して、もう1回それだけを全部見直すとテーマや、こんな映画、というのが見えてきます。だから自分からこんな映画にしようというよりは、この素材、できたものの中から浮かび上がってくるという感覚です。仏師が石を目の前にすると中に仏様が見えてきて、それを掘り出すらしいのです。自分が仏像をつくるというよりも見えているものを掘り出してあげるような感じと言っていました。それを聞いた時に、私も同じ感覚で、例えば柴田さんだったら柴田さんの世界がこんな映画にして欲しいというのが既にあって、それを余計なものだけ少し除いて整えるといった感じです。

 ――それにしても膨大なわけで、ここのシーンがとかメモでもするのですか?

 岩崎 私が大好きなのは付箋活用法です。付箋で大体大まかな要素を書き出します。心が震えた要素をいっぱい書き出して並べて眺めて、あっこれはこの後に来たらいいなとか付箋で編集するのです。

 ――ではイマジネーションの世界ですか?

 岩崎 そう、眺めて入れ替えて、今度実際に映像にして観たら、あっいいじゃんとか。私はそういう形で製作しています。

 ――それはいい話を聴きました。映画製作にコーチングが生きたということもおっしゃっていますね。

 岩崎 コーチングはいろんな意味で生きていると思います。自分の中に答えが無い、相手の中に全てあるので引き出すのがコーチングです。映画製作もそうなっていて、さっきお話ししたように私が製作しているのではなくて、既にある世界が存在して、いらないものを削ぎ落として整えるだけという感覚。それもたぶんコーチングを学んでいたがゆえにそういう方法になっていると思います。インタビューでお話しさせていただく時の聴き方も、答えやこっちに持っていきたいとかの誘導も全部手放して、その時に湧いてくる質問をして、その方の話にすごく触発されて聴いていると、その方がこんなこと喋るつもりではなかったのにといったことがよくある。逆に私がこういうことを喋って欲しいとか答えを持って聴いていると、そこに当てはまろうとするか、あるいは抵抗して嫌な空気になると思います。そのからっぽの聴き方はコーチングを学んでいてよかったと思います。

 ――誘導しないということですね?

 岩崎 そうです。全く誘導なし。あと元々は気遣いするタイプで沈黙がダメでした。沈黙になると何か話さなければといった思いが湧いてきてしまうのですが、コーチングではその沈黙とか間っていうものが人間にとってどれだけ大事で、その創造性を生み出す泉みたいなものだと聞いていました。だからインタビューの時も間ができたりしても、じーっとただその間を味わうのです。そして相手からポロポロって出てきた言葉がすごく深かったというのが何回も体験としてあります。

 ――待っているわけですね?

 岩崎 待っているのです。なにか喋ろうとかではなくて、ただその間を楽しんでいたらどんどん出てくるのです。ある出演者の方に「やっちゃんずるいわ、あの間。あれがあるとなにか喋らなくてはいけないのかなと思っていろいろ口から出ちゃうのよ」と言われたことがあります。それもコーチングで学んでいてよかったことです。

「みつばちと地球とわたし」で
ミツバチの危機と共生を伝える

 ――最新作のドキュメンタリー映画「みつばちと地球とわたし ~ひとつぶの命に秘められた 大きな環のおはなし~」はすごくテーマ性があるというか、ミツバチが10年後に絶滅するかもしれない。そうしたら植物の7割が消えていく、という大きなテーマで訴えています。それに取り組むきっかけ等をお話しください。

みつばち

 岩崎 そもそも私はヒューマンドキュメンタリーに興味があって、ずっと人を対象に撮ってきました。ところが「ありがとう農法」から、地球には人だけでなくて虫も草もいろんな命がある、人だけが幸せになるよりもっと範囲を広げてたくさんの命と一緒に生きていくべきと思い始めたわけです。そして、虫も草も全ての命が共存できる農業のあり方を撮っていきました。そのあとある方から、「名古屋の船橋康貴さんという養蜂家の方が大きな渦を巻き起こし一所懸命活動していらっしゃるからぜひ」と言われ、心がピクピクと反応し、カメラを持って飛んで行きました。
 船橋さんのお話を聴いたのは車の中です。お会いして車に乗り込んで5分ぐらいして、「ミツバチが一生のうちに集められる蜜の量を知っていますか?」と尋ねられて、「わかりません」と答えたら、「たったのティースプーン1杯か半分」と言われ衝撃でした。ミツバチの一生かけた量を私は平気で何杯も食べていた。そして「私達が食べている食物の7割がミツバチの受粉によってできていることを知っていますか?」と質問されそれも知らなくてまた衝撃でした。「ミツバチは1日に3,000個の花を飛び回って受粉しているのです。それで植物は森をつくって空気を更新していくのです。私たちはその恩恵を受けて生きています。そのミツバチは農薬などでダメージを受けてどんどん減っているのです」と言われた時にすごいショックを受けました。
 ミツバチに象徴されるのですが、この世に生きているいろんな命がそうやって循環して繋いで私たちを生かしてくれているのを全く意識せずにいたことが衝撃でした。そしてその環境を人間が今のような暮らし方や文明でどんどん圧迫して今度は自らの首まで締めようとしていることに衝撃を受けました。では私は映像でこの事実を伝えよう、伝えた先にすごい研究家やテクノロジーの開発者などきっといろんな人達がいるに違いない、それぞれの専門家の人達が一歩踏み出したら、みんなの命がうまく循環しながら人間もその中で生きていける社会になるのではないか、と思って映画にしました。
 だからミツバチの危機を一番目立つように持ってくることにこだわりましたが、それは一つの切り口でつまりはそういう微生物であり、菌であり、いろんな小さな生き物達もみんな力を合わせてこの地球を支えている、みんなで一緒に生きている、ということが伝えたいテーマでした。

 ――あちこちで波紋が起きるといいですね。

 岩崎 それをすごく感じます。約15分のメッセージDVDを製作して、「どこでも無料で上映してください」と言ったらいろんな方が賛同してくれて、小学校や中学校で上映していただいたら、子供達の目がキラキラ輝いて、翌日とかも急に虫を観察している子供達が出てきたといった声を聴きました。それからある沖縄の内科の先生は、患者さんが診察に来たら必ず「みつばちと地球とわたし」の話をするのだそうです。それはDVDを観て、これは伝えなくちゃと思われたのだそうです。人に伝えることで必ず何かが変わっていくという確信があります。

「蘇れ生命の力」で
自然分娩を広げたい

 ――ご長男は自然分娩と聞きましたが、何かに影響されたのですか?

 岩崎 自然分娩のきっかけはドキュメンタリー映画「蘇れ生命の力 ~小児科医 真弓定夫~」を撮影したことがきっかけです。自然分娩の素晴らしさを伝えている助産師さんとお会いして、「お産は宇宙がやっているのです」ということをおっしゃった時に、なんか私、がーんとなって、「お産は宇宙がやっているってどういうことですか?」と尋ねると、「愛知県の吉村正先生という自然分娩が大切で素晴らしいということを訴え続けている産婦人科医がいる」と聴いて、その先生のところで働いた助産師さんから本を借りて読んでいくうちに、その助産師さんは病院と自然分娩の両方で勤務していて、「病院の方はお母さんが『疲れた、こんなに大変で痛いのだったら、もう産みたくない』と言うけど、自然分娩の方は感激して泣いて『素晴らしい体験だった。もう1人すぐにでも産みたい』と言われた。赤ちゃんの元気さも全然違う」ということでした。産後についても病院の方は生命力が弱そうなのに対して、自然分娩の方は赤ちゃんがキラキラ輝いて、おとなしいというか、ギャーギャー泣かないらしいのです。この話に私も衝撃を受けて、ぜひ体験してみたいと思って助産院の門を叩いて自然分娩することにしました。

 ――特に問題なく産まれましたか?

 岩崎 そうなんです。しかも、マンションの一室で医療器具一切なしです。私、病院がめちゃめちゃ怖いのです。メスや光にひぇーとなるのですが、本当にすごい居心地のいい快適のマンションの一室だからめちゃめちゃリラックスするのです。リラックスするとオキシトシンが出て、陣痛が進んで、痛みが弱まるのです。だから私、息子が産まれた時にびっくりしたのは、あまり痛くない状態で、「えっ! この程度で産まれるの?」という感じでした。先日の急性胃腸炎の方が痛くて大変でした。自然分娩でリラックスしながら産むと幸せですごく満ち足りて本当にお腹の命と一対一。助産師さんは一切口出ししなくて、ただ座っているだけです。私は降りてくる赤ちゃんとひたすら向き合って対話しながら自分の力で赤ちゃんの力も借りて2人で力を合わせて産み出したという感覚があるので、私が産んだんだと思えて結構大きな自信となりました。赤ちゃんも本当に泣きません。泣かないで産まれて、すごく元気で、今も病気らしい病気はほぼありません。あの自然分娩もなんとか広げたいので、「蘇れ生命の力」を観ていただければと思います。

 ――自然分娩のロウソク生活以降、北海道から淡路島へ転居し、蛍光灯を使っていないということですね。

淡路島での古民家暮らし

 岩崎 そうなのです。まず助産院で電気を一切使わずに夜はロウソクだけでした。そうすると赤ちゃんも、よく寝てくれるし、自分も心地がいいのでしばらく続けてみようと思って、助産院から帰っても蛍光灯をつけない生活にしていたら、私の睡眠リズムが変わりました。元々は睡眠の質が非常に悪く起きようと思っても眠くて起きられない感じだったのが、朝ばちっと目が覚めて夜は早くに眠くなって寝るのですごく早寝早起きです。この睡眠サイクルだと、朝自然に目が覚めて二度寝なんて全然なくて、疲れも眠気もスカーっと抜けていて、今日は何しようみたいな感覚です。息子も日の出、日の入りでちゃんと寝るので、北海道は冬が早くて午後4時半ぐらいに日の入りするともうそれぐらいから眠りについて、朝日が昇ってきたら今度は起き出してというサイクルです。夏だと日が落ちる午後8時ぐらいに寝て、朝は日が出る6時ぐらいに起きる動物的なサイクルになりました。

 ――電気代の節約になり地球環境にも優しいですね?

 岩崎 あっはっは。本当です。すごく節約になります。環境にも貢献していますよ。

 ――映画製作など業界人の夜を徹しての編集作業に一石を投じたのでは?

 岩崎 そうです。真逆を行っていますから。私も夜中によく編集作業をしていましたが、今から考えると効率もよくありませんでした。本当に短い時間で体も意識もすごくクリアになりましたし、そっちの方が絶対に効率的だと思います。

新しい表現方法の模索
地球の全ての命の共生

 ――岩崎監督の今後の抱負や夢とかお願いします。

 岩崎 今まで私は映画、映画、映画という感じでしたが、旦那さんが監督になってくれたので、いろんな表現方法を模索したいと思っています。例えば文章で伝えることをやってみようと思ってブログも更新するようになりましたし、歌も好きだったのでカラオケに行くつもりです。もっといろんな表現をしていけたらと思っています。ある意味余裕がでてきたという感じで、何をどのように表現したら、さらにもっと人の心が震えて、触発が起きて、この社会にムーブメントが起きるのを模索したいと思います。新しい表現の可能性を模索する時期ということもあります。ただ映像は私にとって今のところベストオブベストの表現方法なので、旦那さんと一緒にこれからも発信し続けようと思っています。

 ――同じ監督同士として、分野を分けたりされるのですか?

 岩崎 旦那さんが一緒に製作してくれと言うので、私は助監督という立場で入って一緒にと思っています。二人は得意な分野が全然違うので、その中で担当分けみたいにやっていきたい。子供もいるのであちこち撮影に行けるという感じでもないので、しばらくこのスタイルを続けて、そのあと少ししたらまた監督として全く別の表現方法で突っ走るかもしれないし、どうなるかわかりません。この地球の全ての命が一緒に仲良く生きていけるというのが夢です。それをこの目の黒いうちにというのが毎日の願いであり想いですね。

 ――まさにハートオブミラクルですね?

 岩崎 あっはっはっはっは。はいそうです。それをやりたいと思っています。あっ、旦那さんの監督第一作、宮田運輸ドキュメンタリー映画「愛でいけるやん」は、11月22日に大阪で初上映予定です。

プロフィール

岩崎靖子(いわさき・やすこ)さん

京都市生まれ。関西学院大学卒業後、ツーカーホン関西で5年間会社員として働き、企画部でマーケティング・販売促進を手がける。コーチングに出会い女優にチャレンジ。ツーカーホン関西を退社後、小野敬広氏とともに映像制作チームE・Eプロジェクトを立ち上げ、初作品「命がしゃべっている」を発表。入江富美子監督と出会い、制作を手伝った「1/4の奇跡 ~本当のことだから~」は、自主上映という形で12万人を動員。映画配給団体「ハートオブミラクル」を立ち上げNPO法人化。自主上映を募る形で配給活動を開始。代表作は「僕のうしろに道はできる ~奇跡が奇跡でなくなる日に向かって」(文部科学省特別選定)、「日本一幸せな社員をつくる! ~ホテルアソシア名古屋ターミナルの挑戦~”(文部科学省選定)、「大地の花咲き ~洞爺・佐々木ファーム”喜び”ですべてを繋ぐ~」等。著書に『人生はいのちからの贈り物 人前恐怖症の私がドキュメンタリー映画監督になるまで』(トーヨー企画)がある。

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