妻が外房に同郷人を引き寄せた
千葉大病院緩和科の病室から退去する約束の30分が迫ると、アスカ葬祭の担当者が病室へ到着した。
「このたびはご愁傷さまです。担当の木林健伍と申します」
「なにぶん初めてなものでよろしくお願いします」
「おまかせください」
妻の友人たちがわたしを呼ぶ。
「家のことがあって、きょうもう帰らなくてはいけないのです」
「お忙しいのにはるばる岡山からお見舞いに来てくださり恐縮です。妻もきのうは本当に楽しそうにしていたようですね。看護師さんから聞きました」
「こんな大変なときにうかがってしまいすみません」
「いえいえ本当に感謝しています。なにもお構いしなしですみません。気をつけてお帰りください」
訃報を知った皮膚科の医師・看護婦も続々とかけつけて、故人に声をかけ、早すぎる死を悼み、エレベーターまで大勢の方々が見送ってくださった。
わたしが病院の裏口からアスカ葬祭の車に乗り込もうとしたそのとき、奥星余市のPTA仲間、左藤母から携帯電話がかかってきた。
取り込み中ながら条件反射でボタンを押してしまう。
「ヤマチー、元気ー?」
「元気じゃない。いま妻が亡くなってこれから自宅へ連れて帰るところだよ」
「忙しいところごめん。ガチャ!」
結局、用件は聞けずじまいだった。
アスカ葬祭の車に乗り込むと小林さんが口を開く。
「千葉東金道路を使いますか? それとも一般道にしましょうか?」
「この13年間、妻はずっと千葉東金道路を走って千葉大病院まで往復しました。最後に思い出の道路を走りたいはずです」
「わかりました」
「ところで30分で退出とはあまりにせわしくないですか?」
「国立大学病院は仕方がないです。新しい患者さんが部屋が空くのを待っていますから。国立大学法人に移行して経営的な側面もあるんじゃないでしょうか?」
「あーそうか、それと緩和科は無料でした。ところで木林さんの言葉って、われわれと近いですね」
「えっ、標準語を使っているつもりなんですが、岡山県で生まれました」
「やっぱり。故人は広島県の生まれで、岡山県で育ちました。わたしも同じようなもんです。木林さん、たよりにしていますよ」
「こちらこそよろしくお願いします」
思わず妻が千葉の外房に同郷人を引き寄せたのだろうかと思った。
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