「リーダシップを発揮していない」
28年間K誌の編集長をつとめ、まさにK誌の顔であり制作現場にも常に心をくだいてくださった寺本昭男先生が高齢を理由に退かれた。
続いて社員の働きやすい環境を常に模索した名経営者で、K誌の副編集長でもあった加藤佳寿夫専務も退任された。
おふたりには感謝してもしきれない。
現場の専担スタッフは4人から5人に増強した。
ただしK誌のキャリアは浅いが仕事が早く正確でひそかに後継者と目していた千田広史課長(当時)が親会社の広報室へ栄転し、経験豊富な豊岡幸弘課長(当時)が他部署へ異動、赤山雅夫課長(当時)が家庭の事情で退職するなど、一緒に汗をかいてきたスタッフが軒並み去り、顔ぶれが一新したのだ。
そんなとき数年前にK誌編集室へ配属された新市岳課長(当時)から声をかけられた。
「山ノ堀部長、ちょっといいですか?」
「なんだろう?」
打ち合わせルームで対峙する。
「2回のドイツ取材は上からの命令だからともかく沖縄へ何回も行っていますよね。自分も沖縄、行きたいですよ」
「わかった。沖縄は立て続けに取材要請があり、流れで3回訪問した。でも一区切りついたから今度はきみに行ってもらおう」
「ほかにも自分がいいところばかり取材していませんか?」
「それは心外だ。看板コーナーの『巻頭対談』や『オピニオン』に関して独り占めしていないし、きみだって何度も担当しただろう。新人にもテープ起こしから始めたとしても、編集長への同行や自分でインタビューするさいの質問項目をチェックしたりして育成をはかっているつもりだ」
「最近、早退や遅刻が多くありませんか? われわれに『こうしよう』というメッセージもなく、リーダシップを発揮していないように思います。だったら本数、ページ数で範を示してください」
「メッセージは伝えているつもりだが足りないようなら再考しよう。おれの仕事量が少ないというのは当たらない。デスクとして全員の原稿を見てアカを入れ、誰よりも多くの取材をこなし原稿を書いているつもりだ。毎月の本数とページ数をエクセルで表計算したら一目瞭然だ」
わたしは途中で腹がたってきて、彼がK誌編集室へ配属した当時のことを頭に浮かべた。
「きみのことは、きみの仲人の加藤専務から『隣の部署の大谷重機部長(当時)の評価があまりに低くて可哀想だからK誌編集室で育ててやってくれないか?』と頼まれて引き受けた。きみは、どこの部署へきて、そんなにものが言えるようになったんだ?」
そう返そうと思ったが、家庭崩壊寸前の状態での早退や遅刻を言われると反論の余地なしだし、いまの彼は隣の部署時代と違って確かな戦力になっている。
ことばをグッと飲み込んだ。
その後、わたしは仕事に没頭し、仕事量がエクセルで毎月抜きん出ていた。
しかしそれは険しくリスクのある岸壁をよじのぼる登攀(とうはん)に等しかったのかもしれない。