ブロークン・ウィンドウ理論
長男が通う中学校は生徒数減で閉校し、バブル期に再び生徒数激増により開校し十数年が経っていた。
隣家の畑山夫人からは「わが子が通っていたころ(長男入学の数年前)、学校の窓ガラスの多くが割られ、換えてもまた割れ、町の設備費からの充当が追いつかず、冬でも割れたままという悲惨な状態だった」と聞かされた。
その窓ガラスをすべて補修し、毎朝のように校門へ立ち、一人ひとりに名前で話しかけていくことで生徒たちの心が鎮まり、ガラスが割れないようになったらしい。
その先頭に立って行動したのが、体育教師で生徒指導に力を入れていた笠松稔氏だ。
のちに校長として同校へ帰任する笠松氏は「建物の窓の壊れを放置すると、誰も注意を払っていない状態となり、やがて他の窓もすべて壊される」というブロークン・ウィンドウ(割れ窓)理論やニューヨークの地下鉄の再生物語をご存じだったのだろう。
それでも一部の中学生の心の闇は完全に消えていなかったのかもしれない。
イジメの一件で、長男と鶴田修一くんに指示したSとTのふたりは近隣の茂原市と東金市へそれぞれ転居、転校していった。
長男は千葉県中央児童相談所へ1年間通いカウンセリングと生活の指導を受けた。
「もう大丈夫」とのお墨付きをもらった最終回にわたしも児童相談所へ同行し、長男に声をかけた。
「1年間、よく頑張ったな。もう二度とひとがいやがることはするなよ」
「わかっているよ」
「(妻に)これでふたりで一緒にデイズニーランドかディズニーシーにでも行ったらどうか?」
「えっ、いいの?」
わたしが2万円を手渡すと、数日後、妻と長男は「楽しかった!」と言ってディズニーシーから帰ってきた。
もともとここ大網白里町(現・大網白里市)を含む山武郡市は、七五三を結婚式の披露宴と同じように親戚一同を呼んで盛大に祝う風習があり、子どもをとても大切にする地域だ。
しかしバブル期前後に移り住んだ住民の多くは、高額の住宅ローンを抱え、「通勤時間もかかる、なんでここへ越したんだろう。地元民との融和もなかなかはかれない」といった不満を抱えていた。
わたしもその例外ではなかった。
荒れる中学生の温床は、その土地に愛着がない家庭にあったのかもしれない。
さらに長男の心の闇がなにかは、この時点でまだわからなかった。