142.「手記 天女となった妻(上)」

  1. 朝飯前の朝飯

「手記 天女となった妻(上)」

マイペースのがんばり屋

 妻は、幼少時代からマイペースのがんばり屋で、苦しくても顔に出さないタイプでした。

 中学校では3年間学級委員、吹奏楽部で全国大会へ出場し、高校では演劇部で「つるの恩返し」のおつう役を演じました。短大では、折り紙研究会の部長をつとめましたが、このときの苦労以来、けっしてトップを引き受けないと堅く心に誓ったようです。

 就職した銀行では、主に窓口としてお客様から非常に可愛がられ、全国銀行協会バレーボール全国大会で優勝を果たすことができました。9番目の選手に過ぎなかったのに幸運です。

白い良性のほくろが悪性黒色腫に

 26歳で結婚して初めて親元を離れました。東京暮らしがしてみたい、親と別居したいと思ってわたしと結婚したのですが、見送りに来てくれた両親の前でひと目をはばかることなくわんわん泣きしたのがいまも印象に残っています。
 最初は埼玉県川口市の仲人のオフィスでパートとして働きながら階上の賃貸マンションで暮らしていたのですが、長女出産の翌年、長男を身ごもると、千葉県山武郡大網白里町の注文建売の物件を購入しました。平成元年のことです。
  続いて、次男、三男と4人の子宝に恵まれ、あの痩身で10年間、子どもたちを自転車の補助席に載せたりおんぶして幼稚園へ通いました。
 その間、背中にできた2ミリ程度の白い突起物が擦れて赤く膨れ、「町内のクリニックでは良性だから取らないほうがいい。千葉市土気の皮膚科診療所では『珍しいものだから切開しよう』と言われたけどどうしよう?」と相談され、「おまえがやりたいようにしたら」と軽い気持ちで答えたのが約15年前です。
 良性のほくろを根こそぎ切除していたら問題なかったのでしょうが、やがて悪性黒色腫(メラノーマ)となりました。その患部は茂原市内の病院で再度切開してさらに肥大し、ついに直径24センチのスミピザのようになりました。

ステージⅣ、死を宣告される

 旭中央病院で紹介状を書いてもらい、千葉大学附属病院皮膚科へ妻と一緒に行きました。
 医師からはわたしひとりが呼ばれ、「ステージⅣ、5年以内に死に至る確率8割です」と宣告されました。
 妻に会ったときは涙を見せられません。無理矢理笑顔をつくり、妻の肩をポンとたたき、「大丈夫だよ」と語りかけました。その翌朝、通勤の途上で妻のことを思うと涙が止まりませんでした。
 8月6日に2か月早産の帝王切開で三男が誕生するとすぐに、千葉市立海浜病院へ救急搬送されました。
 2週間後、患部の端から3センチを含め直径30センチ、深さ1センチの背中と、両脇リンパ節の大部分を切除する大手術が行われました。
 当時の上司から「きみのポストは誰にも渡さない。1か月でも2か月でも安心して休めよ。自宅にはFAXを設置してあげる。家で仕事をしたらいい」と言われ、わたしは仰向けにもうつ伏せにもなれない妻の介護や生まれたばかりの三男の病院を見舞いました。

12年後に転移が確認される

「10年間乗り切ったら大丈夫」と言われていた中で、12年あまりして風邪でもないのに咳き込むので、「医者に行ってこいよ」と言ったのがこの2月中旬でした。レントゲン検査で肺に無数の影があり、千葉大病院で再検査しました。
 妻とわたしは「余命4か月」と宣告され、皮膚科のカンファレンスで「愉しい海外旅行で思い出をつくってきたらどうか」の「病気と付き合う」派4人、「抗ガン剤を継続使用するべき」の「病気と闘う」派3人と、医師の見解も二分しました。
 妻の結論は、「子どもたちのために一日でも長く生きたいので闘う!」というものでした。わたしももちろん彼女の意思と同様です。
 千葉大病院でつらい抗ガン剤を2回実施する過程で、瀬田クリニック新横浜にて最先端の免疫細胞療法を3回、脳に転移してからは千葉県循環器病センターでガンマナイフ(ピンポイントの放射線治療)を実施しました。
 この間、妻は常に前向きで治療に挑戦し、笑顔を絶やすことがありませんでした。4人の主治医からは「こんなに肺や脳に転移しているのに奇跡的」と言われ、お見舞いに来てくださった方一人ひとりに「どう、わたし元気でしょ。先生からは奇跡と言われているの」と言って気丈なところを見せました。
 看護師さんにとっては注文の多い患者ですが、「ひとことにも配慮を感じる」といって不思議とよく可愛がられました。

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