32.貧乏子だくさん

  1. 朝飯前の朝飯

貧乏子だくさん

 昼前に親会社の菊田明信広報室長から自宅へ連絡が入る。

「あす湘南にお住まいの創業者・会長のお宅へ取材で訪問するので同行してほしい」

「了解しました」

 そのとき東金保健所主任保健婦の加藤岡房子さんが母に赤児の沐浴の仕方、ミルクの飲ませ方など育児コーチをしてくれていた。

   話が一段落したところで母に話しかける。

「あす会社へ行ってもいいかな? お袋、大変だろうけど」

「そりゃ行きなさい」

 母はひとの頼みを断らない人間で、かつ三男を前に不安な点が徐々に解消し多少安堵の表情に変わっている。

 加藤岡さんは次のように話した。

「年の離れた姉が20年前にお産と同時に乳ガンで乳房とリンパ節を除去したので、最初に奥さんの話を聞いたとき、ひとごとではないと思いました」

 加藤岡さんのおねえさんのその後は怖くて質問できなかった。

 午後、海浜病院へ結婚指輪と診断書を取りに行く途中、トヨタの中古車センター2軒に寄る。家族が総勢6人になり全員で移動する場合、ワンボックスカーでないと無理だからだ。

 2軒目でタウンエース4WDロイヤルサルーンリミテッドに出会う。

 海浜病院の医事課で診断書、3階で看護婦の庄司明子さんから指輪を受け取る。

「どこに落ちていましたか? お礼をしようと思うのですが、どなたが拾ってくださったのですか?」と質問しても明確に答えてくれない。庄司さんが見つけてくれたのかもしれない。

 千葉大病院で、妻に指輪を見せてもあまり感動の様子がない。

「あちこちを探してようやく出てきた」

「きのう抜糸して、きょうシャワーを浴びられた。腕の上げ下げはリハビリテーションの一環なの」

「それはよかったね」

 話題が噛み合わない。

 朝8時に会社へ出勤すると、会長の著作集すべての目次に目を通し、関係するページをコピーする。

 9時すぎに会社を出て、中央・総武線、東海道線に乗る。いったん離れの会長室で待機中、廣田義明秘書から書庫を案内される。

「会長は1万冊の蔵書が書庫のどこにあるかすべて把握されています。その本の何ページになにが書かれているかもすべてご存じです。本を読まれるのも早いのでたぶん1ページ1ページを写真撮影するように記憶されているのだと思います。本を無造作に戻したら叱られます」

 会長室から廊下づたいに本宅へ向かうと、着物姿の会長がインタビューに答えてくださった。

 帰りに駅ビルレストランで定食を食べ、席を立つときレジで千円札を差し出すと、菊池室長から「ご馳走する。これからも毎月取材の同行をたのむよ」と言われた。

 会社へ戻ると10月号の校正を行ない18時退出、千葉大病院へ向かう。妻に「翌日は出張でこられない」と伝え1時間強滞在する。

 目覚まし時計に起こされ取材で越後湯沢へ向かう。川端康成『雪国』のイントロを想像しながら長いトンネルを抜けてもそこに雪はなく、9月中旬にしては日差しがきつい。

 政府税制調査会会長・千葉商科大学学長(当時)の加藤寛氏が「財政危機と環境危機の克服を」のテーマで講演し、拍手喝采を浴びる。

 懇親会で、わたしは上座にすわる仲人の奧山素章夫妻のもとへ駆け寄る。

「いつもお中元とお歳暮をたくさん頂戴しすみません」

「気にしないで有効活用してくれたらいい」

「ありがとうございます。ついに4人目誕生です」

「4人もつくって給料増えたのかい?」

「貧乏子だくさんです(笑い)」

「夫婦円満、なによりだよ」

 妻の闘病のことをしゃべると心配されるので控えた。1泊して会社へ戻ると10月号のゲラ校正に取り組む。

 退勤後、千葉大病院へ着くと妻が笑顔があった。

「あすから2泊3日の外泊許可が下りたの。午前中、迎えに来てね」

「そうか、子どもたちも喜ぶな!」

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