134.「ご臨終です。ご愁傷さまでした」

  1. 朝飯前の朝飯

「ご臨終です。ご愁傷さまでした」

 高速道路を駆けて千葉大病院の緩和科へ着くと、長男と義父がふたりで妻に向かって懸命に声をかけている。

「おかあさん死なないで! おかあさん死なないで!」

「おーい、逝くなー!」

 義父の声はかすれて聞き取れないほどだ。

 わたしは長男に質問する。

「携帯のメールに気づいたんだな?」

「びっくりしておじいちゃんを連れて飛んできたよ。さっき着いたばかり」

 妻の両目の目尻には、涙が乾いてできたのであろう太い白い筋がある。

「目尻が白いな」

 長男はわたしに返事をしないで簡易ベッドで寝ていた次男を責める。

「おまえ、おかあさんが苦しんでいるのに平気で寝ていたのか? おかあさんが可哀想と思わなかったのか?」

 次男は申し訳なさそうなしぐさをしながらも口を開こうとしない。

 わたしは長男に尋ねた。

「ねえちゃんから連絡はあったか?」

「ないよ」

 長女の携帯へ再びコールしたがでないので不吉な予感がする。

 ひと呼吸して医師が口を開く。

「一部いらっしゃらないようですが、酸素マスクを外してよろしいでしょうか?」

 みんなが一斉にわたしのほうを向いて「まかせる」と言いたげだ。

「はい、お願いします」

 医師は妻に聴診器をあて「ご臨終です。ご愁傷さまでした」と言うと、看護師に要点を小声で指示して室外へでていく。

 看護師のつぎのひとことがとても事務的に感じられた。

「あと30分で病室を出ていただくことになります。それまでにおくさまの化粧をしてあげてください。ご自宅までは病院が提携している葬儀社を手配してよろしいですか?」


「さ、30分ですか?」

「はい」

「知らない葬儀社では困ります。大網の、なんだったっけ、を利用するので大丈夫です」

 わたしは気が動転していて思いだせない。

 病院の対応に少し違和感をおぼえるのは、妻が長年皮膚科で世話になっていて、1週間前に「個室が無料の緩和科に空きが出ました」と勧められ転科したばかりだったからだろう。

 緩和科にはもっと早くに入院するか、最期まで皮膚科でお世話になるべきだったかなと悔やむ。

 この点は克本晋一医師の助言がただしかった。

 わたしは気を取り直してインターネットで葬祭場の名前と電話番号を調べて電話する。

「アスカ葬祭さんですか? いま妻が千葉大病院の緩和科で亡くなりました。迎えにきてもらえますか?」

「わたしがこれからお迎えに上がります」

 つづいて、わたしの実家と義兄へ連絡する。

 エンジニアの義兄はたまたま埼玉の親会社へ出張していてこちらへ向かうとのこと。

   長男と次男には部屋のかたづけ、荷物の車への移動を指示。

 その日は妻の長年の友人、栗原さんと原田さんが前日から見舞いにきてくれており、病室前の廊下で突然の訃報に接する。

「こんにちは。きのうにひきつづき、おくさんに会いにきました」

「両日にわたりありがとうございます。妻はたったいま、亡くなりました」

「えっ、きのうはあんなに元気だったのに……」

「よかったら妻の顔に化粧をしてやってもらえませんか? 時間がないのです」

「ぜひ、させてください」

 臨終の床で苦渋の顔をしていた妻だが、四苦の生・老・病・死から解放されて安堵したのか、この世のものとは思えないほど気品に満ちた美しい顔に変貌した。

(つづく)※リブログ、リツイート歓迎

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