260.東日本大震災の被災地支援

  1. 朝飯前の朝飯

東日本大震災の被災地支援

 三男の中学校PTAで文化祭が行われた。

「東日本大震災で被災した宮城県のT中学校へリヤカーを贈ろう」と呼びかけ例年になく気合いがはいる。

 カレーライス、焼きそば、ライスバーガー、肉だんごスープ、ケーキなどバラエティーに富んだ模擬店を開店。

 雨天で運動場を使用できないため体育館で輪投げやくじ引きなども実施。

 提供品も例年の3倍強あつまった。

 12月10日にMAXやまびこに乗車し、宮城県のT中学校へ。

 三男の中学校の校長、生徒会、PTA役員等は、T中学校のY校長の話に耳を傾けた。

「東日本の大震災の3月11日は卒業式でした。卒業生を送る会の最中に、震度6の地震がおきました。その後、予想をはるかに超えた津波の影響で学区のほとんどが冠水しました。生徒もふたりが犠牲になりました。親や兄弟の命を失った生徒も多数います。その後、学校が再開して、1、2年の生徒たちは我慢しながら気丈にふるまっていました。そんななか、ある生徒が『なんだかT中学校は忘れられているような気がする』と言ったことばが胸につきささりました。そんなとき心のこもったリヤカーの話があり、とても勇気づけられました」

 リヤカー贈呈式のあと、学区内を視察した。

    高さ10メートルの防波堤が突き破られ、大きな松林はなぎ倒され、家屋は1階部分の扉のほとんどが貫通し、瓦礫は引き受け手を待つようにうず高く積まれているままだ。

 帰京後、わたしは大里綜合管理の被災地支援バスのことを思いだし、無性にボランティアしたいと思った。

 大里のバスで宮城県石巻市へ向かい、最初に児童の7割が犠牲になった石巻市立大川小学校で手を合わせたあと、漁港近くで瓦礫の撤去作業を行なう。

 この場所だけでも大型バスが二十数台ある。

 遠く石川県からもボランティアが参加していて女性も手慣れた作業を行っている。

 日本は困っているひとがいれば助ける文化がある限り大丈夫だと思った。

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