行きはよいよい5時間、帰りは怖い22時間半
タクシーで長男のパスポートを持って空港へ近づく。
わたしが「Go to Terminal C」と告げると、ドライバーは「Yes.」と言ってCターミナルで車を停車する。
「80Doller」と言われタクシー代80ドルを支払う。
安いなーと思いながら急いで「Receipt Please」と要求すると、「Yes.」のひとこと。
Cターミナルの端から端まで歩いていると、長男の顔がある。
その手前にはスーツにネクタイ姿の日本人らしき紳士がいて、JTBの倉谷氏と確信し、近づいて挨拶する。
長男もわたしに近寄り、「ありがとう」と礼を述べる。
倉谷氏はわれわれを発券カウンターへ連れて行き、ニューヨーク在住30年の流暢な英語を駆使してエアチケットを入手してくれる。
長男に翌朝の手続きを教え、理解できたかどうか確認すると、モノレールからバスに乗り替え、チップを3ドル払い、マリオットホテルへ。
「宿泊代は330ドルです。部屋のコーヒーは無料、カードキーをなくしたらパスポートを提示して再発行してもらってください」と諸注意を聞く。
マリオットホテルでチェックインし、エレベータで5階へあがり、部屋を確認。
キングサイズのベッドがひときわ目だつ。
時刻は12時、わたしも長男も朝食をとっていないので、マリオットホテル1階のイタリアレストランへ入ると、倉谷氏が懇切丁寧にメニューを説明してくれる。
倉谷氏に勧めると「先ほど食べたばかりです。わたしのことは気にしないでどうぞ」と言って固辞される。
ボンゴレのパスタ2個とオレンジジュース3杯を注文。
オレンジジュースはすぐ出てきたが、パスタは時間を要する。
この間、倉谷氏からアメリカの人口構成について話を聞く。
「アメリカでいちばん多いのはドイツ系です。イギリス系、アイルランド系、イタリア系とつづき、最近はラテン系(広くはイタリア人やフランス人もラテン系なので、ここでは南米か?)が増加しています。なお、各人種はニューヨークへたどり着いたあと、それぞれの仕事につきました。ドイツ系の多くは生真面目な性格なので葡萄畑を耕しワイナリーを造営、アイルランド系の多くは市役所や消防署などの公務員、イタリア系の多くはマンハッタンなどでレストランを経営しました」
食後、長男と別れる。
わたしは倉谷氏と空港バスへ乗り替え、マンハッタンへ。
途中で倉谷氏が話しかける。
「アメリカには?」
「西海岸1回、ハワイ2回で、東海岸は今回初めてです」
「20~30秒ほどですが、ハドソン川の向こうに摩天楼が見えます」
テレビで見たことのある光景だ。
倉谷氏がしゃべりだす。
「世界貿易センター(WTC)ビル崩壊以降、半年くらいは破滅的なほど観光客が減少しました。それ以降、多少持ち直したものの、今度はインフルエンザで大口キャンセルがでるなど落ち込んでいます。一時は20人以上いた駐在員も5人に激減しました。近畿日本ツーリストは営業所そのものを閉鎖して、フリーランスの添乗員を雇っています」
トンネルを越えると5~10分でマンハッタンへ着く。
二十二番街に立って上空を見上げ、「これが世界の中心なのか?」と感慨に浸る。
倉谷氏からはニューヨークの概要と周辺の特徴について聞いたあと、バスのチケット購入と乗り場を案内をしてもらう。
話を聞いていて腹痛をもよおし、3時間のアワーチャージにサインして倉谷氏と別れる。
わたしはもう一度、二十二番街へ戻り散策したが、バスの時間の都合上、劇場にもレストランにも入れない。
結局、バスステーションでピザとビールを買い、バスへ乗り込む。
日本の観光バスのような路線バスで50人乗りと大きい。
バスはタクシーで来た道を戻るように、ハドソン川とマンハッタンの摩天楼を横目に進み、乗客が降りるたびに停留所へとまる。
1か所、運転手から「Get off the bus」と言われる。
老女と若い娘のふたりを残して、全員が外へ出る。
聞けば、30分の休憩という。
「Where is the laboratory?」と尋ねると、「Here」と言ってバスの最後部を指すので、再びバスの中へ入る。
用を済ませ、バスで待っていると、再び「Get out」、指で車外へ出ろのサイン。
広場のベンチへ腰掛けるとバスの停留所に新しいバスが現れ、「Get on this bus」、これに乗れと指さす。
ウィリアムズポートからニューアーク空港までタクシーだと5時間強だが、バスの乗り継ぎだと22時間半を要する。
ほぼ丸一日でへとへとだ。
この冒険旅行を長男に体験させれば少しは薬になったなー、あるいは失敗したのにマリオットのような高級ホテルでなくもっと格安でよかったなと後悔する。
しかし当の本人はすでに成田空港へ着いた模様だ。