「控え選手や、相手選手たちに失礼だろう!」
全日本リトルリーグ野球選手権大会優勝の翌朝、大網駅で産経新聞とサンケイスポーツを購入し、喜多グラウンドへ行く。
千葉リトルリーグとしては珍しく9時集合だ。
全日本メンバーの親の点呼が背番号順にある。
「1番・若田、2番・山ノ堀、3番・籠山、4番・重田、5番・井村、6番・川上、7番・山田、8番・大倉、9番・片島、10番・中根城、11番・日坂、12番・常石、13番・雨方、14番・市沢」
まず徳川洋文監督が口火を切る。
「4年前に世界大会を経験してすごくよかった。チャンスがある年はぜひつかんでほしい、ことしのメンバーは行けると思っていた。世界で勝つ必要はない。行くだけで充分だ。親もいい経験ができる。まずはパスポートの取得と公共料金の領収書、戸籍謄本、住民票、病歴・予防接種歴などをそろえる、選手以外の渡航希望者を今週中に知らせる、選手の健康管理に留意するようにしてほしい」
重田父、山田父から「山ノ堀さん、一緒に行きましょう!」と声をかけられる。
徳川監督夫人が引き継ぐ。
「世界大会へ行くので、きょうはリトルとは一段レベルが高い高校の試合を見に行くことにします。雨天練習場も使わせてもらっているしね」
わたしは常石コーチ、川上コーチ、仲根城父を乗せて市川臨海野球場へ向かい、専用駐車場が満杯のため球場から1キロほど離れた場所へ車を停める。
試合は両校ともに打線に火がつき、エースが早い回に降板、僅差で決着する。
試合時間3時間。
復路は川島コーチ、仲根城父、常石母、籠山母、重田母を乗せる。
アメリカへは、妻には「行こう」と呼びかけが、じっさい、行くか、行かないか、悩む。
喜多グラウンドへ着くと14人の選手が整列し、監督が若田選手たちを叱っている。
「やる気がないんだったらアメリカへ行くのをやめろ。控えの選手や、千羽鶴をくれて『われわれの代わりにアメリカへ行ってがんばってこい!』と言って涙を流したオール大宮リトルリーグの選手たちに失礼だろう。おれたちは強いと思って天狗になっているかもしれないが、市川リトルリーグ戦は敗色濃厚だったのをなんとかひっくり返せたし、銚子リトルリーグとの決勝戦では相手エースが準決勝との連投だったからわれわれは打てたのだ。決勝だけに登板していたら、おまえたちは負けていたかもしれない。決まりでこれからの1か月間半、練習試合も組めないなか、気を抜かないようにしないと勝てないぞ。おまえたちの目標はなんだ?」
選手たちが口々に答える。
「世界一です!」
監督が檄を飛ばす。
「だったら気を抜くな! 若田、あんなにちんたらしていて勝てるのか?」
「勝てません!」
結局、選手たちは反省文を書いて、次回の練習日に持参することになる。
徳川監督の、親に対しての「世界で勝つ必要はない。行くだけで充分だ」と、選手たちへの「控えの選手や、千羽鶴をくれて涙を流したオール大宮リトルリーグの選手たちに失礼だろう」のことばが違う。
だが、どちらも監督の本心なのだろう。
帰りにジャスコ(現・イオン)へ寄って、食料を購入。
家に着くと、すき焼きを準備し、三男が入浴した後、一緒に箸をつける。
三男から「そういえばおかあさんのすき焼きはおいしかったね」と言われせつない。