「骨は全部拾いきり、壺の中へ入れてください」
東金市堀上の山武郡市広域斎場へつくと、若い茶髪の女性が歯切れよく迎えてくれた。
妻がついに火葬で骨と灰になるんだと思うと無性に悲しくなる。
導師の読経につづけて頭をさげ手をあわせる。
一同は控室に移動。
あろうことか、見知らぬ面々がぞろぞろとついてくるので、わたしはいっぺんに不機嫌になる。
これに対して次男が口を開く。
「おとうさんはぼくの友だちが悪の道へ引っぱったと思っているだろうけど逆だから。タバコを教えたのもおれだし。みんなお母さんに『お世話になった』と言ってきてくれたんだ。高校中退も、みんなおれにつづいた」
木林健伍さんから「弁当の数が足りません」と聞き、次男に「これでどこかで食べてこい」と言って2万円手渡す。
献杯挨拶を父に頼むと、簡にして要を得たスピーチをしてくれた。
わたしは飲み物はノンアルコールビールにする。
約1時間後に名前を呼ばれたので家族や親族たちがお骨の周りをとりかこむ。
妻が灰のうえに骨だけとなっている。
わたしが最初に長男と一緒に妻の喉仏をつまんで骨壺へ入れる。
「骨は全部拾い切り、壺の中へ入れてください」と言われ、死ぬなら千葉だなと思う。
岡山や広島は骨壺が小さく半分しかいれないからだ。
復路は霊柩車が乗せてくれないので、大倉観光のバスが満杯となる。
往路とは違う東金市街を通りアスカ葬祭へ到着。
弟や親戚はバスや自家用車で帰っていく。
全日程を終え帰宅すると、義父が「歯と膝を治さんといけんので、あす帰らせてもらわあ」と言い出す。
本当は妻が逝った日に帰岡する予定だったので、妻が3日間足止めさせたことになる。
出張直後の義兄も、わが両親も「突然の訃報でとるものもとらず飛んできたので」と言う。
これに妹が語気を強める。
「お姉さんが逝去してすぐにみんながバタバタと去るのは薄情だ。せめておかあさんは、いてください」
母も帰りたかったのだろうが、半口を開けたまま「わかりました」と言ってくれた。