56.「大工さんになりたい!」

  1. 朝飯前の朝飯

「大工さんになりたい!」

 次男の高校の担任、学年主任の先生が片道35キロの道のりを家庭訪問してきてくれたが、次男は不在でいつも妻が対応した。

 出席日数不足でこれがリミットなので、次男へ「必ず同席するように」と念押ししていたにもかかわらず雲隠れだ。

 わたしは会社を早退して、先生方と離れの1階で机を囲んだ。

「いつも遠路はるばる恐縮です」

「おとうさんこそ、会社があるのにすみません。ところで、彼は毎日どうしていますか?」

「8月に自動二輪の運転免許を取得してから毎日、友だちにバイクを借りて乗り回しているようです」

「あと数日です。あしたからずっと登校して試験で点数がとれれば進級できます。しかしこのまま休みだと出席日数不足で退学となります」

「残念ですがしかたありません。わたしも後援会にいながらお役に立てなくて申し訳ありません」

「後援会のことは気にしないでください。彼は高校をやめたらどうするんでしょう?」

「この離れを建て増ししたとき、当時小学生だった次男は『大工さんになりたい!』と言いました。『10時と15時におやつが出るから』です。幼稚園のとき絵画で1席をもらい手先も器用なので、宮大工を目指せばいいと思います。ただし、心を入れ替えてあすから登校すれば親としても応援するつもりです」

「いずれにしても、がんばるように伝えてください」

「ありがとうございます。今後の進路ははっきり決めてお知らせします」

 その日、わたしは次男の帰宅を待って、こう切りだした。

「先生たちがきてくださったぞ」

「ああ」

「高校どうする?」

「やめる」

「もう後悔はないのか?」

「ああ」

「昔、『大工さんになりたい』って言ってたな」

「忘れた」

「昔の大工は木の性質を見て一本一本組み合わせて一軒の家を建てたが、いまはすでに完成しているパーツを組み合わせて建てるので昔に比べてやりがいが薄いかもしれない。でも宮大工は、棟梁が伝統的な方法で神社や寺院を建てている。父は『法隆寺最後の宮大工』と言われた西岡常一さんの著書『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』(日本経済新聞出版社)や『木のいのち 木のこころ』(新潮社)を読んで心を奪われた。西岡さんは亡くなったが、弟子の小川三夫さんが鵤工舎という宮大工の学校の経営者だ。奈良県生駒郡斑鳩町と栃木県塩谷郡塩谷町にある。栃木に電話をしてみようか?」

「……(次男は黙して語らないのでなにを考えているのかわからない)」

 栃木の鵤工舎へ電話すると、小川氏の子息からこう言われた。

「鋸山(千葉県安房郡鋸南町)、日本寺のお堂を建てたばかりだ。それを見て『自分もこういったものを建ててみたい』と思って栃木まできたら話をする」

 次男に尋ねる。

「鋸山へ行くか?」

「ああ」

「わかった。善は急げだ。あす行こう」

 早速、会社へ電話をかけて有給休暇を申請する。

 鋸山は大網と同じ房総半島の上総にあるが、千葉東金道路と館山自動車道を通って95キロメートル、約1時間半の道のりだ。

   朝にトヨタの愛車ノアで家を出て昼に着くと、目当てのお堂を見学。

「どうだ?」

「ああ」

「『ああ』じゃなく、見てどう思う?を問うている」

「小さい」

「建物の大小でなく、『とても精巧だ』とか、『自分も建ててみたい』とか、なにか思わないか?」

「建ててみたい」

「そうか、それじゃ栃木へ行こう」

「ああ」

 わたしは日本寺の大仏を眼前に次男に言葉をかけた。

「ここへ来てよかったな。現代の宮大工の作品を見られて。ここの鋸山の大仏だって鎌倉の大仏に決して引けをとらない。スケールのデカい人間になろうぜ。そのためには地道な努力が不可欠だ。宮大工の修行、がんばろうな!」

「ああ」

 わたしは自分が感動すればひとも同様だろうと勘違いする癖がある。

 しかもみずからの血を分けた子どもであればなおさら、という気分だった。

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