54.次男の中二病

  1. 朝飯前の朝飯

次男の中二病

「中二病」という思春期特有の心と行動の病がある。

   次男も夏休みに初めて部活をサボり、タバコの煙をくゆらせるようになった。

 9月に中学校で喫煙がみつかり次男とともに呼び出された妻は、目を真っ赤に腫らせて帰宅。

 わたしの帰りを待って訴えた。

「悔しい!」

「なにがあったの?」

「担任の小野順子先生から呼び出しの電話があって行ったら、あいつが学校で喫煙したと……」

「それで?」

「最初の1本は、あいつが実家へ行ったとき、おとうさんが部屋に置いていたハイライトをくすねたと。あーっ」

「なんだ。最初の1本なんてどこで吸おうとかまわないじゃないか? 重要なのはこれからだよ!」

「ダメ。実家のおとうさんを悪者にしたあいつが許せない!」

「お義父さんもまさか孫がくすねるとは思っていないから置きっぱなしにしていたんだろう。お義父さんのせいじゃないよ!」

 その日を境に妻と次男の対立が決定的となる。

 次男の登校は2時間目と3時間目のあいだが定番となり、授業が終わると部活をズル休みし、友人宅を徘徊、夜中に帰宅するという昼夜逆転の生活となった。

 じつは長年、4LDKの6畳ひと間へ二段ベットを入れ、長男・次男・三男の3人が暮らしていて不憫だろうと、離れを建てた。

   その2階を長男に勧めたが、「いまの部屋がいい」ということで次男にあてがった親心があだとなった。

 次男が離れから抜けだしたことがわかると妻はめぼしいところへ電話をかけたり車で追いかけた。

 日中に小学4年生の三男を同乗させ、「待てー!」といって細道で脱輪、タイヤがパンクして涙を流したこと等がたびたびだった。

 その次男が年末年始の寒稽古だけは1日も休まず通った。

 褒美に携帯電話を買ってもらいたかったのだろう、その夜わたしに話しかけてきた。

「寒稽古、毎朝遅刻しないで通ったよ」

「そうらしいな。ご苦労さん」

「携帯、買ってよ!」

「がんばったことと携帯は別だろう。わが家は『中学生には携帯を持たせない!』というルールがある。ねえちゃんも、にいちゃんも携帯を持ったのは高校生からだぞ」

「わかった。もういい!」

 プレゼン下手の次男は「親なんか信じない!」と吐き捨て、床をバンバン踏みつけて歩き、扉をバタン。いつものように家をでていった。

 わたしもルールをタテにかたくなを通した。

 3学期になると、担任の小野先生から「5月の修学旅行に不登校のクラスメートを同行し、中学校の想い出をひとつぐらいつくらせてあげたい。ついては不登校のAくん宅へ行って口説いてほしい。きみはリーダーシップがあるから」と頼まれたらしい。

 不登校の生徒は次男たちの呼びかけに応じて一緒に修学旅行にでかけた。

 しかし、それから以降、次男は「学校に行く」と言って家をでるが、学校からは「登校していません」と電話がある毎日となる。

 本人に質すと「Aんちでテレビゲームに熱中していた」と。

 ミイラ取りがミイラになった。

 郵便局でパートを始めた妻も気が気でなく仕事に身が入らなかったらしい。

 そんな次男だが毎度悪党なわけではなかった。

 いつものように2時間目と3時間目のあいだに登校していると、あるとき通学路で同級生の母親に呼び止められたらしい。

「山ノ堀くん?」

「はい」

「うちの娘がクラスでいじめられているの。担任の先生に言ってもまったく埒があかない。娘が『山ノ堀くんならイジメをやめさせてくれるかもしれない』と言ったので、藁をもすがる気持ちできみを待っていたの」

「いいですよ。イジメているやつらに言ってみますわ」

 次男が「弱い者イジメなんてクソだぞ!」と呼びかけると、イジメがなくなったそうだ。

 そんな次男も中3の二学期に、「井下明先輩のいる高校へ行きたい」と言いだし、長女、長男も通った塾通いで急降下していた成績も少しだけ持ち直した。

 このころになると次男の表情も少し和らぎ、妻との関係も徐々に修復していた。

 あすが県立高校の入試という夕方、次男がせわしく帰宅してきた。

「どうしたんだ?」

「男を巡ってクラスの女同士がもめていて、とられたほうがとったほうを『シバく!』と言うから『ちょっと待て。おれが塾から帰ってくるまで手を出すなよ!』と言って止めてきた」

「おまえの彼女じゃないんだろう。だったらその男が解決すればいい問題じゃないか?」

「その男が優柔不断だからダメなんだ。でも、そいつじゃ収拾がつかない」

「あすは大事な高校入試だろう」

 このわたしのことばに、珍しく妻が反論した。

「それは違う! 行けいけ! 困っている人間がいたら助ければいい」

「おいおい、高校受験はいいのか?」

「どっちも大事!」

「・・・・・・」

「わかった。じゃ塾からそのまま現場へ戻るから」

 次男は夜の23時過ぎに、しょんぼりしながら帰ってきた。

「遅いじゃないか!」

「どうなったの?」

「ダメだ。おれが塾から駆けつけたときは、7人でひとりをボコボコにしたあとだった。7人のなかに元カノもいたから『バッキャーロー、卑怯なマネすんなよ』って言ってやった!」

「7人って、全員女子だろ?」

「そうだよ」

 翌朝、次男はダボダボのズボンを腰まで下げて千葉市内の県立高校へ受験に行くが、後日不合格の発表があった。

 その結果、「兄弟・子弟枠」で入学させてくれる、長男が通った高校しか進学の道がない。

 入学手続き書類の中に親のアンケート「後援会役員の希望の有無」の質問があった。

   少しでも次男に有利にはたらけばと思い「イエス」に丸囲みするとPTAに当たる後援会のクラス委員に選ばれた。

 入学式前にクラス委員の顔合わせがあり、子息が野球部で目的意識をもっている佐藤吉弘氏等は元気よく発言した。

   が、放蕩息子を持つわたしや九十九里の川口順平氏は自分が何も悪いことをしていないのに顔を上げないでうつむいたままだった。

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