珍しい妻のグチ連発
妻と長女と、開店したばかりの「日本一規模」ホームセンター、カインズホーム茂原店へドライブ。
網戸の網や泡盛を買う程度だが、妻が長時間外出するのは退院後初めてで、一抹の不安を覚えたが、ホームセンターの売り場面積よりも、人の多さに疲れたという。
妻は、帰路の車中でグチる。
「会社へバスや自転車で行ってくれないから毎日の送迎が大変だったんよ。隣の畑山さん宅や斎田さん宅は子どもがふたりで、もう大きい。吉川さん宅は子どもがいないからね」
「無理を強いたな。本当にすまなかった!」
わたしは病気の妻を前になにも反論できない。
週明けの会社でK誌に載せるイベントのリード文を書いて、イメージ写真を1枚ずつ選定する。
今週末から赤山雅夫主任(当時)がドイツ、イギリスへ出張なので、加藤佳寿夫専務(当時)が壮行会を開いてくださった。
加藤専務はわたしに耳うちする。
「2年前、きみがドイツ、イタリアへ出張したときには催さなかったが、いま両巨頭(岩野取締役のヘルニアとわたしの妻の看病を意味しているものと思う)の不在にもかかわらず、現場の3人がよく頑張ったので、そのお礼の意味も含めて開いてあげたんだよ」
この話を聴いて、トップに立つ者の心配りはスタッフ全員のやる気を盛り上げるようバランスの上に成り立っていなければならないとつくづく感じた。
紹興酒を多少飲み過ぎたためか、錦糸町駅で総武線快速成田行きに乗り替えると腹痛に襲われ、酔いも最高潮となる。
千葉駅でジュースを飲んで外房線に乗り換えるとようやく正気に戻る。
大網駅からタクシーで帰宅すると、わたしが入浴中に妻はパジャマの用意をして、カボチャを温めていたらしい。風呂から出ると臭う。
「くさいぞ!」
「しまった!」
「しまったちゃん、今晩は壮行会だから食べて帰ると言うたじゃろ~」
「あっ、そうか? もうちいと早う言うてえ!」
妻はぷいと2階へ上ってしまう。
22時前でいつもより少し早いが、深酒をしているので本も雑誌も読めなくて、妻のあとを追う。妻は山口智子の主演のドラマに熱中していて鍋を焦がしたのだろう。
「あとでテレビ朝日『ニュースステーション』に変えてもいいか?」
「22時までは見せて。今度おかあさんが来てくれるのは11月の入院するときだよ」
そのあいだいったいどうすればいいのか疑問が生じる。会社を休まないといけないということか? いや、いまはそういう状況ではない。
加藤専務は「年内いっぱい休むつもりで家事・育児をすればいい」と優しい言葉をかけてくださったが、いったん会社へ出勤するのが当たり前のようになると、現場の危機バネも緩んでしまう。
わたしは階段を降り受話器を手に、母へ電話する。
「今度10月中旬に来てくれることになっているが、お義母さんの次が11月下旬とのことなので、それまでいてくれないだろうか?」
「(母は老人ホームでの仕事に未練があるらしく)せめて10月16日の(イベント担当として)運動会まではいたい。それから金曜まで働かないと土・日曜も欠勤になるので、できたら19日の土曜か20日の日曜に行くんでどう?」
義母が帰ってしまい、母が来てくれるまでの間隔は1週間のみだ。
「もちろんそれでいい」
「あすガンの検診に行くよ」
「再発していたら、きてくれても困るので、そちらで養生して。こちらはなんとかするから」
「迷惑かけるようなことはせんから大丈夫よ」
あっちもガン、こっちもガン。とりあえず、母の無事を祈る。
電話の途中で、カチカチッとキャッチホンが鳴るような音がしていたが、妻が2階で盗み聞きをしていたのだろう。わたしが寝室へ戻ると苦言を呈しながらむくれている。
「話の途中なのに、なんで、急に下へ降りてお義母さんに電話するの? それから、わたしはもう大丈夫なんだから、ひとりでやれるわ。経過を見て電話すればいいのに」
その夜は妻にしては珍しく過去のことまでほじくり返し、相当ぶちぶち言った。
わたしは「申し訳ない!」「悪かった!」と言いながら、そのうち酔いも手伝って眠くなり不覚にもベッドで横になってしまった。