夜の訪問者
8時前に病室を出て、原稿作成のため会社へ出勤する途上で部下から電話がある。
「岡山産のおいしい葡萄が届きました。ありがとうございます」
「おいしかったらよかった。きょうは行くのでよろしく」
会社へ着くと、原稿を一度プリンターで打ち出してから推稿を行い、昼前にインタビュー先へ原稿のチェックをお願いする。
午後、先月のイベントの際に行なわれた「巻頭鼎談」に着手。この鼎談(3人の会談)は約20分だが、聴きとれない箇所が多くありテープ起こしに1時間強を要した。
19時ようやく段取りがつき、部下ふたりに伝える。
「先に帰るよ」
「わたしたちも帰ります。(ひとりが台所へ行き、わたしに菓子折を手渡し)おかあさんやお子さんに差し上げてください」
「えー。もう、こんな気遣いはいいからね。でも、ありがとう」
部下の気持ちがうれしい。
病室で妻に語りかける。
「ケーキをもらったけれど食べる?」
「もう夜だからいい。あす子どもたちにやって」
消灯後、ノートパソコンを広げ仕事をしようとしたら妻に苦言を呈される。
「ずっといたのならいいけど、消灯近くなってやって来て、やかましくするのは周りに悪いわ」
「わかった。それにしても文句が言えるようになったのは元気になった証拠だね」
「そうかも……」
妻は少しほほえんだ。
朝8時前に朝食が届く。わたしが口に入れてやろうとすると妻は「ベッドを60度にしてくれたら自分で食べられるから」と言う。
一日の空白は非常に大きい。妻は妻でがんばってセルフを試み、着実に前進している。
わたしは昼前に病室をでて、ジャスコ(現・イオン)へ寄り13時帰宅。みんなはすでに母がつくった食事をすませていて、わたしは子どもたちが食べなかったピザトーストやサラダ、味噌汁などをかけ込む。
長女が「習字を書くので、筆や硯がほしい」と言うので、再びジャスコへ。
むかしとったきねづかで長女の筆と手をとり教える。長女は上達したが、わたしのスパルタに不満のようで怒りがプンプン伝わってくる。
NHK大河ドラマ「秀吉」を見て、22時に病院へ着く。この時間だと、高速道路を走る必要がない。大網街道はガラガラで快適走行だ。
妻はすでに寝ていて、わたしの気配に気づく。
「夜の訪問者だね」
「いい気なもんだ。ちょっと元気が出てくると」
「充分感謝していますよ。でも、食事とか本当にいてほしいときにいないで、いなくてもいいときにやってくるから、つい本音がでたの。勘弁して」
「こちらこそ。それとひとりだと寂しくて泣くからきてやらないといけない」
「泣かないよ!」
重症患者用のナースセンターに近い個室の901号室にいるので大丈夫なようだ。
妻は勘違いもするが、陽転志向で気持ちの切り換えが早いので、入院や2度の手術、さまざまな治療でも、弱音を吐かないで前向きに取り組むのかもしれない。
朝6時前に、看護婦さんの「どうですか?」の声で目が覚める。
看護婦さんが血圧測定後、会社へ出勤。
加藤佳寿夫専務(当時)にペペ工房の吉田陽生社長からのお見舞いの話を切り出すと、「もらっておいたら」と言われ、吉田社長へお礼の電話を入れる。
会社を19時30分退出、東京駅19時55分発大原行の快速電車に乗る。自宅へ21時20分着。千葉大病院へ電話して看護婦さんとやりとりする。
「今夜の訪問は厳しいのであす行きます」
「奥さんが術後初めて自分で用をたしましたよ」
「ほんとですか?」
わたしの頬がゆるんだ。