「刀折れ矢尽きる」
急遽、提携先の上場企業の社長を取材することになり、担当の水越功一主任(当時)につい親心で問うてしまった。
「きょうのインタビュー大丈夫か?」
「ひとりでは不安です。インタビュアーをお願いできませんか?」
わたしは多忙のなか、これまでの経験で大丈夫だろうと高をくくり、ほとんど下調べをしないでインタビューに臨むと思ったようにいかなかった。
その後も政治家の名前と写真を違えたまま印刷、気付いて刷り直しをして会社に多額の損害を被らせた。
わたしはこのふたつの失敗で「馬を下りて大いに戦い、日中に至り、刀折れ矢尽き、慮も亦た引退す」(『後漢書』)の心境となり、上司の岩野清志専務(当時)へ異動を願いでた。
「K誌編集室の現場責任者を降ろしてください。14年間、編集を勤めさせていただきましたが、このへんが潮時です」
「刷り直しは残念だが、たまにあることだ。心機一転、がんばったらどうだ?」
「寺本編集長が退任されましたし、『二君にまみえず』でいこうと思います」
「そうかわかった。あとはどうする?」
「K誌編集室はこれまでローテーションや担当制でスタッフの誰もがどの取材、どのコーナーの編集も担える体制になりました。わたしが抜けても、あすからなにもなかったように業務が進むと思います。幸い、後釜をやりたい者もいるようなので大丈夫でしょう。課題があるとしたらスタッフに企画力が育っていないことです」
「そうか、わかった。企画はおれが担うから心配しなくて大丈夫だ。やりたい仕事はあるか?」
「今後の仕事はなんでも構いません。部下を手放し、一兵卒として出直す覚悟です」
「では、顧客の業務案内パンフレットのパッケージ化について新商品開発と拡販を担当してほしい」
「わかりました」
岩野専務は加藤佳寿夫専務が退任後、編集の総責任者としてK誌にもなみなみならぬ意欲を示していた。
K誌企画編集会議で従来通りわたしが提案すると、会議後に「それはおれの仕事だろう。横取りするな」と釘を刺されたことがあった。
わたしがK誌編集室を去ったあとK誌へ積極的に介入し、1年後にこちらを向いてこう言われた。
「前よりもよくなったなー。K誌は」
結局、K誌編集室時代に岩野専務の力を積極的に借りなかったわたしにも、サラリーマンとして課題があったのかもしれない。