「死ぬなよー! 生きていてくれー!!」
わたしは、6月7日という日にちをけっして忘れることができない。
早朝6時、マナーモードの携帯電話が「ブーッ、ブーッ、ブーッ」とけたたましく振動する。
電話をかけてきたのは千葉大学付属病院緩和科の医師だった。
「ご主人ですか? おくさんが危篤です。病院へすぐきてください!」
きょうは三男が所属する千葉リトルリーグは、茨城県の友部グラウンドで東関東大会決勝戦がある。
相手は前回、春季千葉中央ブロック大会の決勝戦で苦杯をなめた銚子リトルリーグだ。
チームの監督・コーチ、選手とその親たちが前日から水戸市内のホテルいづみ屋へ泊まっている。
わたしは「きてはいけない日、Xデーがついにきてしまったか? それでもあきらめきれない、助かってほしい!」という思いで、短大を卒業し就職1年目の長女と大学2年生の長男へメールする。
「母危篤、千葉大病院へ大至急向かえ!」
つぎに徳川監督夫人を訪ね、事情を説明する。
「妻が危ないようなのです。病院から連絡がありました」
「わかった。あとのことはまかせて。おくさんの元へすぐに行ってあげて。息子はどうする?」
「病床の妻は、自分の余命が残りわずかと知ると、千葉リトルリーグが全国大会、そして世界大会へ出場することだけを夢見ていました。三男には母親のためにもここでがんばらせ、病院にはわたしだけで向かいます。ただ、車の中にチームのバットやグローブなど荷物をいっぱ積んでいるのでグラウンドまでご一緒します」
「わかったわ。ではよろしくね。監督にはわたしから伝えておくから」
7時に朝食をとり、7時30分、ホテルを出発。
選手車を先頭に安全運転の長い車列が続く。
わたしの車は一刻も早くグラウンドへ到着するよう選手車の後ろにつけてくれた。
友部グラウンドにつくと、まずブルーシートを敷き、その上へバットやグローブ等をひとつずつ丁寧におろし、監督夫人にかけよる。
「わたしの車の荷物はすべて降ろしました。それでは行ってきます」
「とにかく気をつけて。こういうときは、あなたがしっかりしないと……」
「わかりました。優勝、たのみます!」
「大丈夫よ!」
わたしはグラウンドへ一礼し、長女と長男に今度は電話する。
だが、朝が早いからか出ない。
愛車ノアのエンジンを再びふかして、アクセルを踏み込み、常磐道へ乗ってつくばインターチェンジで降り、一般道を走行する。
脳裏には妻と岡山であって結婚して以来のことが走馬燈のようにかけめぐり、滂沱の涙を抑えることができない。
「たのむから死なないで待っていてくれー!」
「おれをおいて、先に逝くなー!」
途中でまた千葉大病院の医師から電話がある。
「おくさんの容態が悪化しました。このままではもちません。死に目にあいたいですか?」
「あわせてください!」
「わかりました。それでは酸素吸入器を装着します」
「お願いします」
わたしは再度、車中でひとり妻の名前を叫び続けた。
「あーー!! 死ぬなよー! 生きていてくれー!!」
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