81.妻が疲れなく帰宅する!

  1. 朝飯前の朝飯

妻が疲れなく帰宅する!

 パソコンを開くと、主治医の克本晋一医師からメールが届いていた。

「3月9日に瀬田クリニック新横浜のあと16時に診察をしたいが都合はどうですか?」

「お願いします」

 当日はセカンドオピニオンの田川一真医師のクリニックへ行く予定だったが変更となる。

 克本医師に「承知しました」、田川医師に「急遽、千葉大病院が入ったのでまたにさせてください」とメールする。

 三男を起こし、愛犬ここあのトイレシートを交換、餌を食べさせ、便を処理してから出勤だ。

 会社で顧客と電話をしていたら、携帯電話のバイブレーターが震える。

 画面を見ると、W大学のS教授からだ。

 先日、通勤電車の帰路で尻ポケットの震えに気づかなかったが、きょうスルーするわけにはいかない。

 会社の電話をすませ携帯へ出るが、「ツー、ツー」といって通信が切れたばかりの音だ。

 携帯電話料金がひやひやの長電話を覚悟してこちらからコールする。

「お元気ですか?」

「日経オンラインの連載があと2~3日で終わるので読んでください。わたしのW大学での奮闘ぶりが日経BP社から単行本化されます。新潮社からもオファーがありました。これもすべて山ノ堀さんがK誌によくまとめてくれたおかげです」

「日経オンラインは早速、拝読します。新刊おめでとうございます」

 その当時、部下からあがってきた原稿はほぼテープ起こしの状態だったので、教授からもらった内容豊富な各種資料を再度読み込み大幅に加筆修正した。

 この直しを見た部下はのけぞった。

「わー、S教授はそんなことおっしゃっていませんよ。どうしてそこまでやる必要があるんですか?」

「日本人のおもてなし、編集者としての矜恃だ。S教授は日本語がまったくわからないまま東南アジアから来日し、苦学のすえ、東京農工大学卒業、東京工業大学大学院修了(工学博士)後も、外国人ということで差別されて日本国内で就職先を得られず、東北大学大学院修了(医学博士)後もダメで、失意のうちにアメリカへ渡って特許をいくつも取得した。その後、恩師から『就職先を斡旋するので帰ってこい』と言われ母校の東工大かと思って戻ったら、偏差値がとても低い大学で唖然としたが、学生にやる気を持たせ『研究』の楽しさを教え、就職活動で勝てる人間に育てたことで、W大学に招聘された。これを知ってシビれなかったか? おれはシビれたよ」

 わたしは日本人を代表してお詫びのつもりで原稿をまとめさせていただいたのだ。

 その後、教授が「二冊目の本を上梓したい」とおっしゃったので、「K誌を見本として出版社へ持ち込まれてはいかがですか? 出版に結びつかれることを祈念しています」と助言したことがある。

 いずれにしても当時、中途半端な原稿に終わらせないで本当によかった。

 その夜、2泊3日の帰省から妻と長男が帰宅した。

 妻がささやく。

「おとうさんやあんちゃん(兄)、友だちに会えてとても楽しかった!」

「それはよかった!」

「新幹線もグリーン車で快適だった! ありがとう!」

「どういたしまして。ところで、克本先生から『3月9日、瀬田クリニック新横浜のあとで検診したい』というメールがきたから『承知しました』と返信しといたぞ」

「わかった。今度は田川先生に会えないね」

「そうだな。また行こう」

「わかった」

 妻の表情がとても明るく爽やか、たいした疲れもないようなので安堵した。

 わが家も妻の帰宅で照明がパッと明るくなったようだった。

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