ティーンエイジャー
わたしはPTAを1年間休息すると、小学校の南田洋彦副会長から連絡があった。
「あなたは幼稚園のPTAで活躍したらしいね。こっちは私立の幼稚園だったんで直接知らないけど。小学校でも副会長を引き受けてくれないかな?」
初対面で年下だがぶっきらぼうなもの言いだ。
「幼稚園でわたしよりも1年前の大山力さんが適任でしょう。地元の小学校の児童会長、中学校、高校で生徒会長とサラブレットですから。おとうさんも幼稚園、小学校の元会長と聞いています。わたしは彼が会長のときにもういちど仕えようと思っていますから」
「その大山さんから断られたんだ。1年後に会長ができるというと、ほかに適任者がいない」
「わたしが受けないならどうしますか?」
「そのときは現会長の小椋満夫がもう1年続け、おれも副会長にとどまるよ」
「副会長をもう1年というのはつらいですね。わかりました、引き受けましょう。幼稚園のときの両副会長と再び仕事したいのですが」
「大丈夫じゃない。ありがとうね」
小学校のPTA総会で副会長に選出されると、早速「ミニ集会」(千葉県内小中学校PTAで実施される講演会)の講師選定について南田会長から打診がある。
「山ノ堀さんは東京勤めで顔が広いだろうからいい講師を探してよ」
「わかりました。あたってみましょう」
会社でお付き合いのある富士通総研経済研究所主席研究員(当時)の田邉敏憲さんが快諾してくださった。
ミニ集会での田邉さんの話はとても説得力があり保護者の心に響いた。
「わたしが広島県の山間の高校から京都大学法学部へ進学し、日銀へ就職することができたのは農作業への従事など家の手伝いをしたのが大きい。いかに早く仕上げられるか、効率を考えながら取り組んだ。農家、非農家を問わず子どもには、手伝いと遊び、冒険で頭を鍛えたらいい。『危ない』と言ってなにもさせないで送り迎えをしていたら足腰も強くならない。わたしは高校のとき柔道と片道10キロの自転車通学で体を鍛えた」
母親たちもその場でうんうんと頷いた。しかし、後日ひとたび不審者情報が流れると、ガーッと針が180度振れる小学校PTAってなんなのだろうと疑問に思った。
山武郡市小学校PTA連絡協議会事例発表では発表をまかされた。当時まだ珍しかったパワーポイント(PPT)を活用し、PTA・学校の校外指導の取り組みと不審者数減少の事例等を語った。
ミニ集会と事例発表で、次年度会長としての足場を築き、次年度副会長に幼稚園時代の原田篤さんと松川美幸さんを推薦したもののかなわなかったが、仕事ができる女性陣に助けられる。
ただ、会議で保護者の校外指導一辺倒の前のめりの姿勢に会議で疑問を呈すると、多少オーバーな表現ながら一般の役員全員を敵に回すような状況に陥った。
別のテーマで執行部としての方針を打ち出した後、その反対意見に懇切丁寧な説明で納得をえたかに見えても、会議後の井戸端会議で声の大きなひとが「こうだね」「ああだね」と言えば次回の会議でまた一から仕切り直しに陥ったからだ。
小学校PTAでも中井貴惠代表の「大人と子供のための読みきかせの会」を招聘した。
森山京氏の「きつねの子シリーズ」の公演『きいろいバケツ』『つりばしゆらゆら』『ぼくだけしっている』『あのこにあえた』等は、学校や保護者から大いに感謝された。
小学校でPTA会長をほぼ1年をやり終えて臨む卒業式で、わたしは次の祝辞を述べた。
「卒業生のみなさん、卒業おめでとう。みなさんは小学校卒業の期待と不安のただなかにいるかもしれない。いまはバス代も電車代もこども料金だが、4月1日から大人料金となる。歳も英語だと12歳までがテン、イレブン、トゥエルブなのが、13歳からサーティン、フォーティン、フィフティーンと真のティーンエイジャーになる。体は大人と認められ、心は子どもと大人の中間で苦悩することがあるかもしれない。そんなとき大人でも子どもでもない微妙な立場を意識して一歩一歩大人の階段を昇ってほしい。みなさんの中学生としての活躍に大きな期待をしている。頑張ってください!」
卒業生の次男が帰宅するとわたしの祝辞を褒めてくれた。
「おとうさんの話、みんなよかったと言ってたよ」
このときの次男とはまだ心の交流があったのだが……。