1プードの塩
1月になって幼稚園PTAの大山力会長から次年度の役員人事の話があった。
「山ノ堀さんに、わたしの後任のPTA会長を引き継ぎたいのですが」
「大山さん、もう1年やってくださいよ」
「そのつもりだったけど、交代しようかと……。そのかわり1年にしてください」
「そうですか? わかりました。1年だけならやってみましょう」
能吏といえる錦旗好恵園長からはこう申し渡される。
「来年度は町幼稚園・保育所PTA連絡協議会の当番園として、町の会長としてのお役目もあります」
「えっ、では町の会長を、1年伸ばしてもらいましょう」
「ダメです!」
5月の総会には大山前会長の顔はなく、緊張感マックスの状態だった。
わたしはジュースでの乾杯前にジュースを「ジューッ」と音をたてて飲んでしまったため爆笑の渦につつまれ、「おっちょこちょいの新会長」という評判がたった。
PTAのトップは初めてながらK誌の現場で諸改革に取り組んできた実績から、「幼稚園のPTAでもイノベーションを起こしてやろう。ひとりで実施することの限界があるので実働部隊を巻き込まなくては」と意気込んだ。
幼稚園のPTA役員は、会長1人、副会長男女各2人、書記・会計女性各1人の計7人体制だ。
副会長は研修・広報・郊外・総務の各部長兼務だが、書記・会計の女性を男性部長のサブとして副部長に就いてもらうことの新しい提案を行ない了承された。
これで男性副会長が不在でも細かい打ち合わせや運営を果たすことが可能となる。
わたしは書記・会計のふたりにこうお願いした。
「東京へ出勤しているふたりの男性部長と電話等で連携を密に、彼らを助けてやってほしい。もし部員さんとのあいだで紛糾することがあれば『部長がこう言っているから』と虎の威を借りてでもどんどん運営していってもらいたい」
副部長のふたりは、期待以上の大きな活躍で部をもり立ててくれた。
町幼稚園・保育所PTA連絡協議会の主目的は年1度の講演会の実施と研鑽だ。
その年の講師にはK誌で取材させていただいた元NHKモスクワ支局長、元解説主幹の小林和雄氏に「世界の事情と子育て」をテーマに引き受けていただいた。
小林氏は社会主義時代のソビエト連邦下の過酷な子育て事情を伝えながら、「1プードの塩」について熱く語ってくださった。
「支局長といっても、だまって自席に座っているだけでは情報が集まらないし、ましてやロシア人と仲良くするためには『1プード(約16キロ)の塩をなめよ』、『それだけ会食して語り合わなければ友人になれない』ということわざがあり、それに近い交流をした」と。
講演後は、小林氏をコーディネーターに地元のPTA役員4人のパネリストにより「子育ては厳しくあるべきか、優しくあるべきか」のパネルディスカッションを行なった。
アンケートでは「テレビに出るような一流の講師の話が聴けてよかった」「パネルディスカッションの試みは斬新だ」「幼保PTAに新風をおこしてくれた」をはじめ、「結局、厳しいのがいいのか、優しいのがいいのか、どちらの意見も説得力がありわからなかった」といった声もあった。
月1回の理事会終了後の懇親会では「1プードの塩をやろう」をあい言葉に「幼稚園も町P(PTA)も行事がスムーズにいっている!」ことを確認した。
ところが、次年度会長含みで副会長をつとめていた野上信正氏が「仕事の都合で私立幼稚園へ転園する」と言い出し呆然となった。
もうひとりの副会長の原田篤氏は長男が卒園となり対象外だ。
下にも子どもがいる松川美幸さんは年少入園の抽選に漏れた。
通常は副会長を経て会長というルートだが、この際仕方がない。
三男と同級の保護者を中心に未経験者十人以上に声をかけ断られ、「山ノ堀さん、もう1年やってほしい」とも言われたが大山前会長との約束もあり、これまで一度も喋ったことのないひとへあとを託すことになった。