妻の再入院と抗ガン剤治療
妻は背中の手術から約1か月半後、千葉大病院へ再入院して1週間がたつ。
抗ガン剤治療は必要だと言われているが、妻にとってはさぞかしつらいことだろう。
なにしろあの怖ろしいガン細胞を攻撃、撃退するぐらいの強い作用をもつ点滴だ。
副作用もいろいろあると聞いているが、妻は病院のベッドへ横たわると「大丈夫よ」とけなげに話す。
皮膚科の看護婦さんも「奥さんは『つらい点滴でもねをあげないで芯が強い』とナースセンターでも評判です」と言っていた。
主治医の田川一真医師も、板東真子医師の点滴がうまくないことを謝りながら「奥さんは板東医師のことを最近、『バンちゃん』と愛称で呼んでかわいがってくれています。『早く退院して家族のもとへ帰りたい。そのためにがんばる』と言っていました。しかし、この入院で最後の点滴が終わったときは顔色が悪く、つらそうでした」と教えてくれた。
妻は抗ガン剤治療を続けたのち退院し、自宅でも1週間ほどベッドで横になることが多かったが、徐々に元気を取り戻した。
「おかあさん、もう大丈夫ですよ」
「まだ病み上がりじゃろう」
「体力には自信がありますから……」
医師から「リンパ節を除去していて抵抗力が弱いから風邪など禁物。こじらせたら大変」と言われているが、「これ以上、お義母さんをひっぱったら老人ホームで楽しく勤めているのに申し訳ない」という妻の遠慮も痛いほどわかる。
「本当に大丈夫なの?」
そう念押しした母は田舎へ帰っていった。
久々に大人は妻とふたりだけだ。
わたしは17時半の終業時間を迎えると、東京駅の総武線快速17時55分発上総一ノ宮行きまたは京葉線快速18時6分発勝浦行きに飛び乗る生活を続けた。
運がよければ座れ、列にひとが多ければ1時間強たちっぱなしで揺られながらの読書だ。
帰宅するとひと息つく暇もなく4人のこどもたちを順に風呂へ入れる。
この時期、妻は会うひとごとに「夫は本当によくやってくれる! わたしは幸せ!」と話していた。
そんなとき保険会社から連絡がきた。「保険適用になりました」と。
預金が底をつくなか、わたしは静かにこぶしを握りしめ喜んだ。