診断書の中身
損保会社へ電話して、新しく購入したタウンエースを妻名義で加入、カムリはわたしの継続にする。
生保会社には、三男入院の保険適用の可否を尋ねると、「後日、結果を連絡します」とのこと。
自宅の駐車場は車高の関係でワンボックスカーを収容できないため、以前ガレージや門塀、フェンスなどを施工してくれた大倉ブロックの大倉健一社長に来てもらい、見積りを依頼する。
その際、スロープをやめて奥側を下げるよう交渉したが、コンクリート部分を壊すと周りの門やブロックに影響がでると言われ、ガレージ交換が最も合理的との結論に至る。
またまた散財を伴うことになる。
午後、千葉大病院へ着くと、妻が入院している病室でなく皮膚科治療室で田川一真医師を呼んでもらう。
一点は妻が切除した背中のほぼ中央部に傷が残っていることの確認、もう一点は妻の診断書を生保用、保健所用に2通書いてもらうためだ。
「傷は腫瘍ではありません。間違いなく患部は切除しました。心配しないで大丈夫です。診断書は、板東真子先生に書いてもらいます」
病室へ戻ると、妻が心配そうに語りかけてくる。
「どうしたの?」
「懸念していた背中の傷は背骨の上で、植皮した皮膚がくっつきにくい。腫瘍が生きているということではないから、心配しなくていいらしい」
「回診の際には『綺麗にくっついているから大丈夫』と言われているよ」
翌朝、K誌10月号色校で出勤する。部下の報告だけ聞くと万事うまくいっているようだが、11月号以降のスケジュール、台割に追加や変更点が多く電話でカバーすることの限界を感じる。
会社を18時退出し、千葉大病院へ。診断書は板東医師が書いてくれている。わたしはそれを受け取り病室へ戻る。
「体調はどう?」
「体が重たい感じ」
妻は、抗ガン剤の点滴で相当疲れている。これまでで最も疲労が激しく、体への負担を含め今後が心配だ。
診断書について妻が話しかけてきた。
「その中身は見られないの? 封を開けちゃ無効になるの?」
「ああ、そうだろうね」
妻は自分の病名を知りたいらしいが、わたしはあえて知らないふりをして病室をあとにする。
その後、コンビニで診断書の封を切りコピーする。会社の共済組合へ提出するためだ。
そろそろ会社へ復帰しなければならない時期だが、66歳の母が三男の授乳や三食の準備等で相当疲れていて、少しでも家にいてやりたいと思い休暇を延長する。
その翌日、会社へ出勤して、11月号の原稿の入稿作業やそれに伴う校正などを行い、出版健保で痛風の薬をもらい宇都宮へ出張。
会議は20時に終了し、宇都宮駅からMAXやまびこで帰京。途中の大宮駅までお客様の中林昇氏と話をする。
「ご子息が公認会計士でご令嬢がピアニストとのことですが、子育ての秘訣を教えていただけませんか?」
「叱らずに長所をどんどん伸ばしてやることだよ。ちなみに、長男は高3のとき、イギリスにホームステイしたおかげで外国語に興味を持ち、いまは英語・フランス語がペラペラ。フランスで活躍しているよ」
わたしは、これまでのように子どもにガミガミ言い続けていたら伸びないだろうからできる限り見守ってやらなければと反省する。
その日は千葉大病院に寄らなくても、帰宅が23時をまわった。