母・義母の加勢
早朝5時30分、洗濯機の音で目が覚めた。
両おばあさんの意気込みを感じる。
この日も母・義母、長女、長男、次男を連れて千葉大病院へ行く。
妻はとても元気だ。
軽い病気でも『家庭の医学』(時事通信社)のページをめくるようなまめ人間だが、今回の病気や病名は不明のようだ。
母親に会えたのもうれしいらしい。
病院の帰りにフードプラザハヤシでバイ貝やさざえ、枝豆などを購入。
わが家はみんな貝に目がない。子どもたちは「おいしい!」と言って喜ぶ。
わたしは両おばあさんと黒ビールを飲む。
ふたりとも下戸だが、黒ビールが初めてらしく「飲みやすい!」「おいしい!」と言いながら、おかわりを要求。
わたしは妻の皮膚ガン(悪性黒色腫の)宣告からテレビも見ない、酒も飲まなくて少々気が滅入っていたが、久々に食も進んだ。
原稿が1本残っている。
妻の体調もよさそうだし、子どもたちも母・義母に任せられるので朝8時に出社し、代休の申請や週間業務報告などを加藤佳寿夫専務(当時)の机上へ置き、早速原稿の執筆にとりかかった。
9時前に加藤専務が出社されたので、この間の報告をすると、自らのポリープ摘出や医師のご子息の話などを聞き、昼食を馳走になる。
午後から急ピッチで原稿作成を行い、17時に切り上げてフロッピーを部下へ渡す。
会社を17時40分に退出し、千葉大病院へ19時10分着。妻を勇気づけたら「(血液型が)B型なんで大丈夫よ!」とほほえんだ。
その後、皮膚科の田川一真医師に呼ばれた。
「奥様の背中のできものは99%悪性黒色腫でリンパ管や血管のなかを通って肺や腹に転移している可能性があります。患部の大きさといい黒さといい、千葉県がんセンターでの経験からいっても、5年もつのは難しいと思います」
「子どもたちには母親が必要です。たとえ車椅子でも寝たきりでもいいですから生かしてください。自分が身代わりになっても構いません。お金はありませんが、健康保険が効かない治療でも1億円必要だと言われれば何としてでもかき集めます。お願いですからよろしく頼みます」
「……」
田川医師は「あまり期待しないでほしい」、わたしは「なんとしても生かしてほしい」で、ふたりの話は噛み合わなかった。
その日はさすがにビールを飲んでも食が進まない。口から出るのはため息ばかりだ。