9.妻の背中のスミピザ

  1. 朝飯前の朝飯

妻の背中のスミピザ

 スタッフ3〜4程度の少人数で毎月100ページ前後の月刊誌を制作・発行するため、1週間のうち1日は夜中の2、3時まで働き、近くのカプセルホテルやビジネスホテルで仮眠し、朝9時に出社、土曜もほぼ出勤して取り組んだ。

 日曜は子どもたちが寄ってきても疲れて相手ができなくてゴロゴロの状態。ましてや妻は第四子を妊娠、家事・育児に加えて相当な負荷がかかっていたのかもしれない。

 平成8年7月22日に手書きメモをしたためた。

 久々の代休を申請し会社を休む。妻を千葉大学附属病院の皮膚科へ同行するためだ。

 妻の背中には、白いホクロが数カ所できて、当たって擦れると血が出るようになったため、十年前にお茶の水の東京医科歯科大学附属病院に連れていったことがある。

   そのときは長女がお腹にいて、妊娠中特有の症状らしく腕が痛くて回らないので整形外科を中心に検診を受け、ついでに皮膚科も訪れた程度だった。

 皮膚科の医師からはこう言われた。

「脂肪肝ではないか? 肥らない体質なので脂肪の塊ができやすい。血が出てバンドエイドを貼っているので治療できない。この程度(直径1~2ミリ)でうちに来なくても、埼玉県川口市なら済生会病院に行ったらどうか?」

 妻は初子が胎内にいることと、結婚1年目で岡山の田舎から見知らぬ都会へ来たことで相当ナーバスになっていたようだが、天下の東京医科歯科大学附属病院の名医2人から「心配ない」とお墨付きをもらったことで元気を取り戻した。

   それとともに大学病院は、重症患者が行くところで若くて健康な自分には敷居が高いということが刷り込まれたようだ。

 その日は待ち時間が2~3時間と相当長く、会計を済ませると昼になり、御茶ノ水駅前の寿司屋でランチにぎりを食べたあと、妻を自宅へ帰して自分は会社へ戻った記憶がある。

 妻は済生会病院で長女出産前に産婦人科を受診しただけで皮膚科には行かずじまい。長女と年子で長男が産まれることになり、川口から大網に越したこともある。

 次男が大きくなると、妻の背中の脂肪肝またはほくろが擦れて頻繁に血が出るようになった。当時、大網は東京のベッドタウンとして脚光を浴び、人口が急増していたが、学校や病院、都市ガスなどインフラの整備が後れていた。

 妻は次男をおんぶして千葉市土気(現・千葉市緑区土気)の皮膚科診療所で背中を見せると、「おもしろい。切って学会で発表しましょう」、それまで子どもたちの小児科でお世話になっていた大網のクリニックでは「絶対に切ってはいけない」と言われたらしい。

 わたしに「どうしようか?」と相談してきたので、大事に至るという認識がなく、「自分の好きなようにしたら?」と答えると、妻は土気の診療所で切開した。

 それから半月ほどして妻が「背中がかゆいので見てほしい」と言ったのでシャツをめくると、黒い斑点がポツポツ出ていた。


「違う医者へ行ったほうがいい」

 妻は地元のひとが多く通う茂原市内の公立病院で再度切開。その後、いったんなくなった黒点が線や面としてつながり、やがて直径26センチの黒く毒々しいスミピザ状態になった。

 つづいて妻は大網から45キロメートル、車で1時間15分程度かかる旭市の旭中央病院の皮膚科で次のように言われたらしい。

「わたしは千葉大学付属病院から派遣されています。ここよりも近いし、千葉大病院で手術されてはいかがでしょう」

 以前、妻は東京医科歯科大学附属病院の医師から「この程度でうちに来なくても」と言われたことが耳に残っていて、「街中だし自分ひとりでは行けない」と頼んできたので、わたしは快く応じた。

 その日、千葉大病院では背中の細胞検査のため患部の部分切開を行った。

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