「最初の診療所が医療過誤でしたね」
会社復帰約1週間後に有給休暇を申請し、病院まわりをすることにした。
最初に千葉大病院地下1階の皮膚科外来で、窓口の女性とすこし会話する。
「その後、どうですか?」
「亡くなりました」
「それは残念なことですね。ご愁傷さまです」
「恐れいります」
大学病院の皮膚科でも外来と入院病棟では建物もスタッフも違うのだ。ましてや妻は緩和科で亡くなったので知るよしもないのだろう。
「いまいらっしゃる先生にご挨拶しようと思いまして」
「担当医はどなたでしたか?」
「亡くなる数日前まで上廣啓祐先生、小方渉先生、滝田八重先生、克本晋一先生でした」
「ちょっと待ってください」
「突然にすみません」
「上廣先生から『1時間半ほど待ってくれたら面談可能』とのことです」
「では、先に緩和科をまわってきます」
9階を訪ねる。
「挨拶にきました」
「主治医はどの先生でしたか?」
「矢口布由子先生でした」
「いらっしゃいますよ」
矢口医師も顔を出してくれる。
「その節はお世話になりました」
「残念でした」
「死亡証明書を書いていただけませんか?」
「忙しいのでいまは書けません。1週間後に取りにきてください」
再び皮膚科で待ち、わたしの名前を呼ばれたので入室すると、上廣医師、滝田医師の懐かしい顔がある。
上廣医師から次のように言われる。
「今回は残念でした。落ち着かれましたか? 最期、娘さんがいらっしゃらなかった?」
「長女は大阪旅行へ行って死にかけました」
「事故にでも遭われたのですか?」
「いえっ、おきびきに遭い、半日以上行方不明になって、もどってきました」
「そうでしたか?」
常識的なお医者さんからすれば、わが家のメンバーはさぞユニークに見えるだろう。
診察室をでると、克本医師と会う。
「きょうはどうしたの? 落ち着きましたか?」
「徐々に日常の生活へ戻っています。会社にも先週から通勤しています」
「これまで対応が不備だったことがあれば何でも言ってください。きょうでなくてもかまいませんから」
わたしはひとこと「妻が抗ガン剤治療で苦しんでいるときに病室からでて行かなくて自分の身の上話を延々30分ほどされたのはやめてほしかった」と喉からでそうになったが、ことばを飲み込んだ。
「千葉大病院の先生方や看護師さんには本当によくしていただきました。なんといっても千葉大の最初のオペのおかげで十数年、寿命が延びることができました」
「カメラを見るとその通りだね。それにしても最初の診療所が医療過誤でしたね」
わたしの経験では、医師同士はお互い良し悪しを語らないものだが、克本医師は「医療過誤」という単語を使い歯に衣着せぬ発言をされる。
医師のなかでは極めてユニークな存在なのかもしれない。