「たちつてと ああめぬねの……」
この日、リトルリーグ東関東連盟の全国選手権大会の1枚の切符をかけた夏季大会決勝リーグの緒戦の火蓋が切って落とされる。
わたしは早朝4時に起床し、おにぎり弁当をつくり、三男に家ごはんを食べさせ、自宅を4時45分にでて、千葉市天台へ5時30分着。
坂嶋覚コーチがまだ到着していなくて連絡すると、「もう自宅をでていて、あと15分で着きます」とのこと。
コンビニのサンクスで合流し、千葉リトルリーグの一団は水戸西グラウンドへ向かう。
第1試合は船橋北部リトルリーグ戦を8対1で勝利。
毎週のように土日が雨による大幅なスケジュール変更で徳川洋文監督が投手のローテーションに苦心するなか、天賀投手の完投が光る。
三男は2打数0安打。
同第2試合は佐原リトルリーグ相手に15対2の快勝。
チーム17安打の打棒が光り、若田・大倉・坂嶋・仲根城の投手リレーも見事だった。
三男は2打数1安打1得点。
試合後、茨城県水戸市内の「ホテルいづみ屋」へ移動する。
偕楽園や繁華街に近いがでかけないでホテルで日本料理を食べて飲んで、翌朝のために休息をとる。
妻の6月6日の日記は下記の通りだ。
天気くもり
あいうえおかきくけこ
さしすせそ
たちつてと
ああめぬねの
はひふへほ
まみむめも
やいゆえよ
らりるれろ
わいうえおを
ん
はる なつ あき ふゆ
紫藤さんくる 11時~12時
栗原・原田さん 14時~16時
(次男泊)
あした
栗原・原田さん 9時~10時
あんちゃん(兄)14時~16時
ガンマナイフ(放射線治療装置)による治療を行なったが、まだ脳転移のガンが残っていて完治したわけではない。
な行が依然不明のようだ。
栗原さんと原田さんは妻と高校、短大が一緒でそれぞれ気のおけない仲だった。
長女から「おかあさんはとても楽しそうだった!」というメールを送ってきた。
その母親の容態を確認した長女は次男に託して大阪へと旅だった。
ここで大変なできごとにまきこまれるとは誰も知るよしがなかった。
(つづく)※リブログ、リツイート歓迎