53.「えーっ、わたしガンだったの?」

  1. 朝飯前の朝飯

「えーっ、わたしガンだったの?」

 長男は中学1年時のイジメ以降まったく問題を起こさず、そろばんを1級でやめたが、剣道に専念した。

 中学2年生では、強力な1学年先輩たちと男女ともに関東大会まで駒を進めた。

 中間・期末試験の順位も概ね良好で、わたしも妻も「(進学校の)千葉県立N高校を目指せ!」とハッパをかけた。

 しかし本人の努力のかいなく高校受験に失敗。

 長男の1学年上でN高校へ進学している上村俊紀くんの父親(当時、中学校教頭)から声をかけられた。

「ご長男、残念でしたねー。息子も『また山ノ堀くんと一緒に剣道ができる』と喜んでいたのですが」

「上村くんはまじめに提出物をだしていたんでしょうが、うちの息子は先生に嫌われていました。特に音楽なんてありえない、1でしたから」

「異議申し立てをしませんでしたか? うちの息子も音楽で2をつけられたので妻が中学校へ乗り込んで『どうして2なのか説明してください』と言ってマイナス要素に根拠がないことを証明したら3になりましたよ」

「えっ、そんなことできるのですか? お宅はご両親そろって学校の先生なので……」

「うちの女房は高校の教師ですが、『進学校はボーダーラインの生徒の1や2を敬遠する』と言っていました」

「息子はそのボーダーラインだったのでしょう。残念です」

 1や2を問うのであれば、同級生へのイジメも影響したのかもしれない。

 結局、長男は県内一授業料が高い、大学の附属高校へ電車とバスを乗り継いで通った。

 文化祭の準備にもだしてもらえないほど剣道漬けの毎日で、はたしてこれで高校生活をエンジョイできているのだろうかと疑問に思うほどだった。

 長男の3学年下の次男は長男と入れ違いに中学校へ入学。

 1年生のときはクラス担任と相性バッチリで学級委員をつとめ成績もよく、三者面談でも「『クラスの模範で人気者です』と褒められた」とよく妻が自慢のように話した。

 しかし、中学2年生の始業式の日、担任が代わると、人目をはばかることなくわんわん泣きしたそうだ。

 剣道部も尊敬する2年上の井下明先輩が高校へ進学すると、続いて顧問に剣道の経験がない教師がつき、部長に次男とウマが合う鈴風高道くんでなく口うるさい女生徒を指名したため有力な同級生が数名去った。

 次男は不平不満の言葉を吐きながらもどうにかこうにか部活を続けた。

 ときが経過し三男の10歳の誕生日ケーキを前に、わたしは家族全員へ重大発表を行なった。

「じつはおかあさんは、十年前に悪性黒色腫という皮膚ガンだったんだ」

 これには妻本人も驚きの声をあげる。

「えーっ、わたしガンだったの?」

「ああ。このことはおれとおばあさんだけが田川一真先生から聞いて、おかあさんにもみんなにもずっと言わないできた。あのつらい点滴は抗がん剤治療だったんだ。でも、先生はこうも言われた。『十年たったらまず大丈夫です。それまで免疫力を下げないようにしてください』と。だからきょうのこの日をおかあさんとともに迎えられたのは、家族にとってとても喜ばしいことなんだ!」

「えっ、そうだったんだ。知らなかった。だからか、毎月行っていた検診が十年たって『半年に1回でいい』と言われたの」

「おれはこの日を、ずっと心待ちにしていた。しかもおかあさんが元気な姿で」

「これまでおとうさんには、ほんと重い荷物を背負わせていたんだね」

「ああ。でも『雨降って地固まる』っていうこともある。感無量だ。しかしこれからも無理はしないでほしい。リンパ節を大部分取っていて抵抗力が弱いんだから」

「わかったわ」

 子どもたちが次々にいたわりのことばをかける。

「おかあさん、これからも元気でいてね」

「無理をしないで」

 その夜、わたしは妻が十年間生きてくれたことと、自分に対するねぎらいから芋焼酎をあおりながら『やったぞ! やったぞ!』とひとりごちた。

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