きかん坊の次男
次男は幼稚園の年少時に抽選に漏れて入園できなかった。
その年に妻の悪性黒色腫と帝王切開で2か月早産による出産の緊急入院があり、もし年少から入園していれば妻不在のなか母やわたしが幼稚園まで毎朝夕に送り迎えをすることになり、さらに大変だったことだろう。
次男は年中から入園し、おえかきの時間や園庭の土へよく絵を描いていたらしい。
それを見た倉板江美子担任は、妻に「お子さんはとても器用で、絵を描くのがとてもうまいですよ」と褒めてくれた。
妻は喜んで、わたしの帰宅を待って話しかけた。
「次男が幼稚園で絵を褒められたのよ。絵画教室へ入れたらどうかと思うんだけど」
「どこかめぼしいところはあるのか?」
「大網白里町(現・大網白里市)上谷新田にあすなろ絵画教室というのがあって、幼稚園児や小学生が何度も日本一になっているらしいの」
「だったら習わせればいいじゃないか? おれも次長に昇進して給料も上がったので金銭的にも少し余裕ができたから」
次男は最初おもしろさと指導力の高さの影響でまじめに通っていたが、そのうち飽きて「友だちが遊んでいるのに自分だけ絵に行くのはいやだ!」といって教室がある日曜の朝になると大声を出して泣きわめいた。
「わーん! 行かない! 行きたくない! 遊びたい!」
妻では埒があかないので、次男を車で連れていくのはきまってわたしの役目になったが、行くのは月に2回、いや1回というときもあった。
わたしはよく次男のことを「きかん坊が言うことを聞かん坊」と揶揄した。
幼稚園もあと残り数か月で卒園という時期に次男は珍しくあまり駄々をこねないで指導者におだてられながら青いA2判の大きな画用紙いっぱいに真っ赤なクジラの絵を描いた。
それを千葉県こども絵画展に応募すると、幼稚園の部で1席になった。
そごう千葉店で表彰され、副賞として同店レストラン食事券1万円分をいただいた。
後日、その食事券に1万円を足して家族でフレンチに興じた。
この日はわたしも妻も次男に対して「おまえのおかげだ!」「ありがとう!」を連発したのだった。
表情を変えないきかん坊の次男の頬が少しだけ緩んだ。