わたしは郷里、岡山県の両親に彼女を引き合わせると、父は「なかなかいい娘さんじゃないか?」と歓迎し、母は「東京で就職してまだ2年だけど大丈夫なんか?」とクギを刺した。
それからだ。彼女が急速に結婚を意識するようになったのは。
「6月に結婚式を挙げたいの。そうでないなら結婚はしない」
「どうして6月がいいの?」
彼女は“ジューンブライド”、「6月の花嫁は幸せになれる」いうヨーロッパの伝説を、クリスチャンでもないのに信じていて、なかなかお金が貯まらないわたしにしびれを切らし、「家計簿か出納帳をつけるといい」と言う。
当時、岡山では結婚のクリスマスケーキ理論が主流で「24日(24歳)のクリスマスイブが最も高く売れ、25日(25歳)の20時を過ぎれば見切りが始まり、26日(26歳)には投げ売りとなる」というもので、26歳の彼女は焦っていた。
わたしは彼女の上京に合わせて会社の常務取締役(当時)の奧山素章税理士宅を訪ねると、ウィットに富んだジョークで出迎えてくださった。
「山ノ堀くん、きょうはどうしたんだ。ずいぶんべっぴんさんを連れているじゃないか? ミス日本を会場からかっさらってきたのか?」
「奧山先生、岡山のミスと結婚することになりました。失敗をやらかすミスではありませんが・・・・・・」
「でかしたじゃないか? でも、ちょっとミス・マッチだなー」
「先生、仲人をお引き受けいただけないでしょうか?」
「いいけど、社外役員よりも社内役員に可愛がられるほうがサラリーマンとしては出世するぞ!」
「出世云々よりも、ぼくは奧山先生に惚れていますから」
「おいおい、男に惚れられてもねー、困るんだよ。奥さんだったらウエルカムだけど。まぁ美人の奥さんに免じて仲人を引き受けるとしようか。ワッハッハ」
ふたりが深々と頭を下げると、「ここは巣鴨一だ!」といって「八ツ目や にしむら」で鰻重を馳走いただいた。
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