「元ヤクルトスワローズ佐々木さんに紹介された」
次男への不安をかかえながら東京から千葉へもどって、大里綜合管理の第31回フォーラムへ参加する。
今回は会場を東金文化会館に移し、初期のMacパソコンや世界のリーダーがかけるメガネ、おしゃれな車いす、人工心臓等の工業デザインを手がけてきた川崎和男氏(大阪大学大学院教授/当時)を迎えて「資本主義から離脱のデザイン」の講演。
会場のプロジェクターとスクリーンでは一面しか映写できないため大阪からの持ち込みで大々的な装置となる。
経費も相当ふくらんだ。
自作の車いすで登場した川崎氏は、映像美とその着想を「いのち」「きもち」「かたち」で表現、黄金比を採用、数学の要素を用いているとのこと。
普段はあまりふれない芸術の奥深さを堪能する。
アンケートの結果は、「格調高い内容」「難しかった」などさまざまだった。
終電で東京へ戻り、翌朝、東京の西練馬リトルシニアのグラウンドへおもむくと懐かしい顔と再会する。
千葉リトルリーグ時代の若田父子と仲根城父子だ。
「あれ、ふたりともどうしたの?」
「まさかここへヤマチーがいるとは思わなかった。うちは息子(若田選手)が千葉のボーイズリーグをやめた。それで千葉出身で元ヤクルトスワローズ二塁手の佐々木重徳さんに西練馬を紹介され、思いきって東京へきてみたんだ」
「息子(仲根城選手)がインフルエンザになってチーム選びのスタートが遅れた。若田さんに聞いたら西練馬へ行くって言うんで引っついてきたよ」
「うちは引っ越し等があって先々週、ここに決めたんだ。ふたりが入部してくれたらうれしいけど、とくに若田さん、市原からだと遠いよね」
「高速道路使って片道1時間半ほどかな? 西練馬はどう?」
「ニシネリって言う。堅苦しさはいまのところないね。エースや4番はだいたい帝京高校へ行くらしい。で、はいるの?」
「息子が気にいればはいろうと思っている」
「うちも」
「それは心強い!」
三男も若田くんと仲根城くんの来訪を喜び、「はいればいいな」と言う。
まさか東京へ転居して、千葉時代のチームメイトとふたたび一緒のチームになるとは夢にも思っていなかった。
ましてや東京23区内に事務局をおく中学硬式野球のクラブチームは、リトルシニア32、ボーイズリーグ19、ポニー6、ヤング2とあまたあるなかで、あまりに偶然すぎる。
もし三男が江戸川中央リトルシニアへ入部していたら実現していなかったことだ。
これも三男の野球に情熱をそそいできた亡き妻の引き合わせかもしれない。