「千葉を離れたくない!」
わたしは次男と妻、小学校6年生の三男を伴い、トヨタの愛車ノアで栃木県塩谷町まで東北自動車道をとばした。
途中、「あーこれで次男が宮大工の修行で落ち着いてくれたら一家も万々歳だ。千葉に帰ってくるのも、1、2か月に一度程度だろう。わが家にもようやく平和が訪れる。次男の成長が楽しみだ!」と思った。
「着いたぞー。さー、降りよ!」
わたしは力強く3人に呼びかけ車から降りて、そばの青年に声をかけた。
「小川三夫棟梁のご子息はご在宅でしょうか?」
少し時間をおいて作業場からメガネが鋭角に曲がった存在感のある男性が歩いてきた。
「先日は突然のお電話で失礼しました。息子と一緒に鋸山へ行ってきました」
「おー、おまえか? ちょっとこいや」
「えっ」
わたしたちがなにが起こるのだろうと不安なおももちだったのを見すえて、小川棟梁が付言した。
「おとうさん、おかあさん、大丈夫です。仕事場を見せるだけですから」
「あっ、はい」
作業場の案内が終わると、棟梁はわれわれの見える位置で座りながら次男と対峙している。
次男は珍しく神妙な顔つきだ。
やがてふたりが戻ってくる。
「どうする? おとうさん、おかあさんに気持ちを話せや」
次男は顔を上げないで下を向いたまま申し訳なさそうに小声でつぶやく。
「大工は無理。千葉を離れたくない!」
「そうか。残念だが……」
わたしは体から力が抜けて、しばし呆然と立ちつくした。
「小川さん、ありがとうございます」
わたしと妻は小川棟梁に深々と頭を下げ、わたしは無言のままエンジンを掛けた。
三男が心配そうに声をかけてくる。
「どうしたの? にいちゃん行かないんだ。お腹すいた!」
「あー、来る途中にあった和食の店へ行こう」
4人で「和食たかはし」へ入る。
わたしはこれから一家に訪れるであろう大きな試練を予感しつつ、少し投げやりに言う。
「好きなものを頼めよ!」
それに応じて声を挙げたのは三男だけだ。
「やったー!」
次男は「刺身定食」とだけ言って口を閉ざした。
食後、わたしは次男に声をかけた。
「おいしかったか?」
「ああ」
「おかあさんの手料理も、こういったお店の料理同様おいしいよな。それなのになんで逃げ回ってよそで食べたり、家に料理があるのに勝手にインスタントラーメンをつくったりするんだ」
「べつに」
「そんな『べつに』はないだろう。人間、それぞれ意味を感じながら生きているのだから」
「早く帰ろう。遊びてーから」
「結局さー、なにがやりたいんだ? なにをめざしているんだ? おれもおかあさんも、おまえの行く末を案じてここまできた。おまえの弟もリトルリーグ最後の1年、という大事な時期の1日をつぶしてついてきたわけだぞ!」
「そのうち働くよ」
「働くったって高校中退じゃどこも勤める先がないぞ」
「ああ」
妻に目をやると、右目から一筋の涙を流しながら寂しそうにつぶやいた。
「帰ろう。もういい」
明らかに落胆の表情がにじみ出ている。
帰路の車中では、三男が学校であったことなどを話して、ひとり場を盛り上げてくれた。
それに妻だけが少し反応した。
「うん。そうだね」
三男が寝て以降、車内は通夜のようになった。
結局、次男はいまツルむことでしか生きていけないのかもしれない。